エジプト旅行記(2002年5月)

5月6日(月)カイロ?アブシンベル?アスワン

 早朝5時という驚くべき時刻に出発するアブシンベル行きの飛行機に搭乗するため、この朝、というか夜中の「モーニングコール」は、なんと午前2時だった。
 昨夜は、猛烈な疲れと時差ボケで、レストランの食事が終わって、9時には意識もうろうとするなかでベットに倒れ込み、電話のベルの大音響に飛び起こされるまで熟睡できた。

●なんと「自由席」もあったエジプトの国内便

 あたりがまだ暗い4時に空港に到着。ホテルでもらった「ボックス」と呼ばれる弁当には、パンや果物、チーズ、ヨーグルト、ジュースなどが入っていた。昨日、満腹になるまで食べたのに、一晩寝ると、やはりおなかが空くものだ。空港へむかうバスのなかで半分、空港で残りを全部食べてしまった。
 ところが、アスワンを経由してわずか2時間半ほどのフライトだというのに、飛行機が空港を飛び立つとすぐにパンと熱いコーヒーの機内食が出てきて、これもすべてたいらげる。
 熟睡したようでも、やはり眠い。時差ボケなのか、寝不足なのか。疲れもずっしりとたまっていて、どこかでゆっくり寝ていたい。が、団体ツアーには、そんなことは許さるはずもない。
 飛行機の窓から外を見ると、地平線がようやく赤く輝きだしていた。今回のツアーは、カップル6組と個人1人の13人で、それと添乗員の高橋氏が日本から随行していた。高橋氏は、むかし日本テレビの海外取材番組のディレクターをやっていて、16年前にJALの添乗員に転職したそうだ。マスコミとのつながりがいまでもあって、海外取材のツアー担当などもするらしい。エジプトとは30年来のつきあいだそうで、早稲田大学の吉村作治教授も旧知の仲だそうだ。鼻の下にたくわえたヒゲも、吉村氏ばりだ。
 飛行機は、アスワン空港にいったん着陸する。そこでは、白人の旅行客が何人か乗ってきた。みんな席の番号も確認せずに、来た順番で前の方から座っていき、「そこあいてますか?」(たぶん英語で)などと尋ねたりしている人もいる。聞くと、アスワンからアブシンベルは「自由席」らしい。もちろん、立ち乗りはできない。
 7時15分にアブシンベル空港に到着。ひどく小さな空港ビルと管制塔で、日本のローカル空港を思わせる。空港で待機していたエジプト航空の専用バスに乗ると、10分ほどで神殿の入り口に到着する。朝の7時を過ぎたばかりだというのに、すでにたくさんの人たちが列をつくっている。あとで聞いてみたら、飛行機の他にも、アスワンからのバスツアーがあって、約3時間ほどで来られるらしい。
 ナセル氏からアブシンベル神殿のガイドを受けたあと、約1時間半の自由行動へ。

●アブシンベル神殿のスケールの大きさに圧倒される

 巨大な像が建ち並ぶアブシンベル神殿は、1813年にスイスの探検家ルードヴィッヒ・ブルクハルトにより発見され、1817年にイタリアのジョバンニ・ベルツォーニによって発掘された。
 しかし、偉大な建築物も、エジプト近代化の波のなかで、アスワンハイダムの建設によりナセル湖の水位が上昇し、あわや水没の危機に見舞われた。
 そのことを知ったユネスコが3600万ドルの巨費を投じて、移設工事がおこなわれた。神殿を約20トンのいくつものブロックに分解して、元の場所から約110m上方に持ち上げ、ふたたび組み立てるという途方もない作業が繰り返され、1968年にすべての工事が終了した。
 こうした大事業があったからこそ、アブシンベル神殿は、「世界遺産」に指定され、今では、世界中の人たちが訪れている。それまでだれも注目しなかったアブシンベル神殿を、移設工事が世界的に有名にさせ、観光客がたくさん訪れだしたというから皮肉だ。
 工事には、6年もかかったと言うが、しかし、実際に神殿の前に立つと、よくそれだけの期間でできたものだと思うほど巨大だ。人々を圧倒するスケールの大きさに、ラムセス2世をはじめ古代の人たちの尽きることのないエネルギーを感じる。
 着いた頃はたくさんいた観光客も、アスワンから来たツアーのバスの出発時間が近づいたのか、しばらくすると潮が引くようにまばらになっていった。地元の女性たちが子どもを連れて遊びにきていたので、節子が写真のモデルになってくれないかとたのんだが、にべもなく断られる。やはり、人前で顔をさらすのを嫌っているのだろうか。
 神殿のあちこちを一通り見学し、10時にふたたび空港行きのバスに乗る。アスワン行きの飛行機は「自由席」なので、みんな先を競って搭乗口へむかう。

●軍事施設として警戒厳重なアスワンハイダム

 11時45分にアスワン国際空港に到着する。早く着いたので、昼食の前にアスワンハイダムの見学にむかう。アスワンハイダムの全長は3.8キロで世界一の規模をほこる。旧ソ連の援助によって建築された。ダムのゲートには、銃を持った兵隊とも警察とも見分けがつかない男たちがたむろしていた。電力発電の重要施設であるダムは、エジプトでは、軍事施設に等しいそうで、警備も厳しいらしい。
 しかし、ゲートをくぐると、芝生の広場では、子どもたちをふくめ、たくさんの人たちがごちそうをひろげて盛り上がっていた。聞くと、今日は、キリスト教の祭日で、エジプト全体が休日とのことだった。子どもたちは、この日、みんな精一杯のおしゃれをするそうだ。たしかに女の子の姿は、どの子も華やかさを競い合っているようだ。
 バスを降りて、10分間の写真タイムとなったが、格別写すような景色もなく、10分も外にいると、暑さに耐えられなくなり、早々にバスに引き上げてくる。今日の気温は、38度あるという。午後になってから、ぐんぐんと気温があがってくる。エジプト旅行は、やはり、暑さとのたたかいなのだ。
 その後、「切りかけのオベリスク」へ。完成すれば43メートルという世界最大のオベリスクの制作に失敗したところだ。ここはあまりおもしろくない。というよりつまらない。
 昼食は、アスワン市内の「バサマホテル」のレストランでバイキングとなる。高橋氏に、ナイル川でとれた魚がうまいと聞いたので、2種類ほど皿に取ってみる。
 そのうち1つは、えらく塩辛く、何かの魚の薫製だった。もう一種類は、塩味もほどほどでなかなかいける。その他、牛肉、マトン、チキンとすべて試し、デザートにはハチミツ漬けのひたすら甘いケーキまですべてたいらげ、満腹になり満足する。ここアフリカでは、一日に数え切れない人たちが餓死しているということを考えると、少しだけ申し訳なくなる。

●神々の像が傷つけられ痛々しいイシス神殿

 午後からは、時間の余裕があるというので、ツアーのコースを少し外れて、フィラエ島のイシス神殿へむかう。入場料を払うと、船に乗って島に渡る。船とは言っても、20人も乗ると満席になる、船外機付きのものだ。船着き場には、そんな粗末な船が数十艘も停泊していて、桟橋では何人もの男たちが仕事もなくぶらぶらしている。これで稼ぎになるのだろうか。
 めざとく私たちを見つけた地元の子どもたちが、さっそく土産を手にして近づいてきた。船に乗ってからも、「船内販売」とばかり、品物を取り出してきて、客に売りつける。エジプト人は、商売だけには熱心だ。
 神殿に着くと、5人ほどの観光客がいるだけで、あたりはひどくひっそりしていた。この神殿も、ユネスコによって、水没の運命を逃れたそうだ。イシス神殿は、ギリシャ時代のものだそうだが、神殿に彫り込まれた神々の像は、7割がたが明らかに故意に傷つけられている。偶像崇拝を拒否するイスラム教徒の仕業なのか、その姿が痛々しい。
 神殿を一回りして帰る頃になると、大勢の外国人の観光客が神殿に入ってきていた。その一行は、アブシンベルで見たヨーロッパ人の団体らしかった。たぶん、アブシンベルからのバスが、この時間に着いたのだろう。
 帰りの船では、船が故障して取り残されたというオランダ人の6、7人のグループと相乗りになる。話しているオランダ語は、ドイツ語によく似ている。
 16時にバスを降りて、アスワンのホテルへむかう。島の中にあるホテルまで、帆を張った小舟で移動する。このあたり特有のファルーカという乗り物だ。船着き場には、3人のヌメア人の若い男たちが待っていて、そのうち1人は、まだ中学生くらいの子どもに見えた。ガイドのナセル氏によると、彼らは、2人の兄弟と、その叔父だそうで、下の弟は、アルバイトに来ているらしい。
 彼らは、はじめはごく普通にズボンとシャツを着ていたのだが、船に乗る前に、ガラベイヤという民族衣装を頭からすっぽりとかぶると、なかなか板に付いた姿になる。3人のチームワークで帆と舵を巧みにあやつり、船はナイル川をゆったりとすすんでいく。帆の向きを変えて、船を旋回させたり速さを変えたりして、客たちを楽しませてくれる。
 ホテルが近づいてくると、帆をするするとたたみ、船を岸に着ける。停まったかと思うと、ここでも「船内販売」をはじめる。どこからか土産を取り出してきて、船のまん中にひろげる。鹿の骨のペーパーナイフが10LE、その他、ネックレスなどを熱心に売りつける。いかにも手作りといったペーパーナイフに人気が集まり、1人が買うと、みんなつられるように買い始めた。
 彼らにとって見れば、商売の水揚げは大切な収入源なのだろう。空港やホテルなどで土産を買うよりも、ここで彼らの商売に協力してあげたほうがいいのではないかとも思ったが、どうしてもそのペーパーナイフが10LEもの値打ちを持っていると思えず、結局、わが家はなにも買わなかった。
 16時30分にバサマホテルに帰ってきた。少し休憩して、夕食へ行く段になって、節子は、食欲がないといいだす。というよりも、昼食を食べ過ぎたらしく、この日の夕食は自由行動だったこともあり、食事はパスして、早々にベットに横になってしまった。
 しかたなく、一人で、ホテルのレストランに行って、バイキングを食べる。ツアーに一人で参加していた男性と同席し、かつて旅行した国のことなどを伺いつつ、そんなにおいしくもない食事をビールを2本飲みながら口に入れた。
 結局、この夕食を最後にして、その後まるまる2日、満足に食事もできずに、七転八倒の苦しみを味わうことになるのだが、そんな不運は予想できるはずもなかった。

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