エジプト旅行記(2002年5月)

5月7日(火) アスワン?ルクソール

 かすかな腹痛を感じて夜中に目が覚める。時計の針は午前2時を指していた。そのままベットに横になっていたら、下腹を手で捕まれるような、ときには、きついベルトで締め付けられるような、これまで感じたこともないような異様な痛みに変わった。

●油断大敵、災いはある日突然訪れる

 ベットを飛び起き、あわててトイレに駆け込む。その後も、激痛はおさまらず、トイレとベットを2、3度往復するうち、尾籠な話だが、ほとんど水のような下痢となった。
 「やられた!」と思ったときはすでに遅かった。幼い頃から腹痛を起こしたことはなく、胃腸には絶対的な自信があった。その過剰な自信が油断を招いたのか。やれ水に気をつけろだの、油に気をつけろだのといった注意は聞き流していたし、食べ過ぎるなと言う節子の忠告もどこ吹く風だった。
 トイレを出て、ベットに横たわっても、数分すれば痛みがおそってきた。ぐるぐると内臓が音を立て、腹の中であばれ回った。うとうととするなかで、4時ころコーランが外から聞こえてきた。
 6時ころになり、節子が目を覚ましたので、下痢と腹痛がとまらないと症状を伝えると、びっくりしてすぐに薬を飲めと言い、高橋氏が良い薬を持っているかもしれないから、ただちに電話しろと言う。「たいしたことない。出るものが出てしまえば治る」と言っても、聞いてもらえるはずもなく、高橋氏にお願いして、下痢の特効薬と言われる「正露丸」をいただいて、とりあえずの応急処置は完了した。
 ところが、本当の苦痛は、それからだった。
 その朝、ホテルを出発し、バスの中ではなんとか回復の兆しを感じていた。しかし、アスワン空港に到着して、待合所ですわっていると、急に気持ちが悪くなり、手足の先がすーっと冷たくなり、頭の中が真っ白になってしまった。初めての感覚に、このまま気を失ってしまうのではないかと、本気で怖くなった。節子に付き添われて空港のトイレに入り、すでに出るものはなかったが、なんとかその場はそれでおさまり、飛行機に乗り込む。

●カルナック神殿を見学するもルクソール神殿であえなくダウン

 ルクソールの空港に着いてから、バスに乗ってカルナック神殿へむかう。古代エジプト中期から新王朝時代に栄華を誇ったルクソールに建設されたカルナック神殿は、アメン神をまつった東西500メートル、南北1500メートルという規模を持つ巨大な神殿だ。高さ20メートルを超える柱が134本も林立している「大列柱室」の迫力には圧倒された。
 しかし、神殿のあちこちを歩いているときにも、全身がひどく弱っているのがわかる。下半身が妙に頼りない。それでも、体力をふりしぼって神殿を見て回ったが、そこまでが限界だった。
 その後に予定されていたルクソール神殿の見学は、どうしても猛暑の中を歩く気になれず、高橋氏にそのことを告げ、バスの中でみんなの帰りを待つことにした。
 たった一人バスに残ったあわれな男性を気遣ってか、バスの運転手は、ルクソールの市内をぐるぐると回ってくれ、車窓から市内のあちこちを見学させてくれた。
 ルクソールの「ノブテルホテル」で昼食をとる。果物とヨーグルトだけを口に入れて食事をすませた。ごちそうはたくさんあっても、食欲が出ない。それに、このエジプトで、何か口に入れるのが怖かった。その想いは、その後もずっとついて回った。
 午後からは、ルクソール市内で土産物屋を中心に観光するというので、そちらの日程もすべてキャンセルして、今日の宿泊所となる「ソネスタ・セント・ジョージ」ホテルに帰って、休ませてもらうことにした。
 ふらふらした足つきで一人だけホテルに引き上げてきて、なんとかベットに入ると、身体がひどく熱っぽいのを感じる。冷房の効いた部屋だからこそ、余計にそのことを感じるのかもしれない。うとうととして、そのうち眠ってしまったようだった。
 14時すぎに早々と観光を終えた節子が帰ってきて目が覚める。
 おでこに手を当てて、熱があるとわかると、節子は驚くほどに狼狽した。高橋氏に電話して、「熱がある。悪い感染症にかかった!」とあわてふためく。さすがに高橋氏は冷静で、感染症などはまずありえず、たぶん風邪であり、それに疲労がかさなって熱が出ているのだと説得する。そのうえで、冷却剤などを持ってきてくれて、風邪薬まで置いていってくれた。
 その夜には、カクナック宮殿で「音と光のショー」を鑑賞する計画になっていて、私は節子に一人でも行って楽しんでくるようすすめたのだが、結局、とても心配で行く気にはならないと言って、2人ともホテルに残り、私は、ベッドの中でひたすら熱が下がることを祈った。

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