雨にたたられたアンコールワット見学

アンコールワットの前で 午後の「昼寝タイム」を利用して、妻はマッサージに出かけていった。私はその間、やることもなくホテルでゴロゴロしていると、空がゴロゴロと鳴りだし、突 然、大粒の 雨が降ってきた。

  カンカン照りだった天気が、昼を過ぎる頃からだんだんと曇りだしていた。昨日も夕立があったというので気をもんでいたら、その心配が見事にあたってしまっ たのだった。しかも、これからが今回の旅行のメインのアンコールワット見学なのである。これならば、「昼寝」の時間などとらなければよかったのにと、現 地人に合わせたスケジュールを恨んだりした。 

  土砂降りの雨の中を、サボットさんが車でむかえに来た。夕立だからすぐやみますよと言われたが、私には、気休めにしか聞こえなかった。アンコールワットに 到着すると、車を停め、寺院を囲む堀にかかる西参道を、傘を差しながら渡った。

堀に飛び込む少年たち 参道の真ん中あたりで、パンツ1枚の子どもたちが、激しく降る雨の中を堀にダイビングして遊んでいた。子どもらは、次々と通っていく観光客に、宙返りなど の技を披露していた。人々に自分たちの写真を撮るようにうながしては、堀からあがってきて、観光客に「モデル料」をねだった。雨の中で遊んでいるのかと 思ったら、結局は、子どもたちのビジネスなのである。

「天国と地獄」「乳海攪拌」などの石像の壮大さに感動

アンコールワット見取り図 参道を渡りきり、西 塔 門をくぐると、テレビでは何度も見たこ とがあるあのアンコールワットの塔がそびえていた。塔は全部で5つあるが、真正面からは3つしか見えない。
  西塔門からさらに参道をすすむと、寺院の本堂に入る。右に曲がる第一回廊へと入り、石壁に精巧な彫刻が施されている回廊を、西面南側、南面西側、そして、 南面東側と、サボットさんの説明を聞きながら次々とすすんでいった。

 石壁の彫刻のテーマは、それぞれのパートで違っていて、入ってすぐの西面南側には戦争の シーンが描かれており、馬に引かれた戦車に乗った司令官を先頭に、槍と盾を手にしてふんどしだけを締めた夥しい数の兵士がひしめき合っており、うめき声や 雄叫びが壁の中から聞こえてきそうな迫力が感じられた。

石壁の彫刻  南面西側にも、戦争にむかう行軍の様子が描かれているが、南面東側は、それまでの勇壮さとは一転する。ここのテーマは、「天国と地獄」である。中央に閻魔 大王のような神様がいて、やせこけた大勢の人たちが、次から次へと地獄へ と突き落とされていた。残酷で、おどろおどろしい光景がつづく。

石壁の彫刻  悪いことをすれば地獄に落とされるという、おなじみの教えをレリーフにしたものだが、 鼻輪にひもをつけられて引きずり回される人々の痛そうな姿には、こっちまで思わず顔をゆがめてしまった。
  さて、南面の回廊を渡りきると、左に曲がって東面に入る。ところが、東面南側の半分は、WWF(世界記念物基金)が修復工事の最中で立ち入りが禁止され、 その代わり、回廊の外に実物大の写真が展示されていた。南側の残り半分の修復はこれかららしく、実物が見学できる。 

石壁の彫刻  ここのテーマは、「乳海攪拌」である。はじめて聞く話でもあり、あまりにも壮大な神話なので、サボットさんの説明だけでは、とても理解できるものではな かったが、すごくおおざっぱに言ってしまうと、不老不死を願った神々が、1000年もかけて海をかき混ぜつづけ、ミルクのように泡だった海底からついに不 老不死の薬を手に入れることに成功したという話だ。 

  石壁には、巨大な亀と神様を真ん中にして、両側で神々と阿修羅たちが綱引きをしている場面が描かれ、攪拌された海の中では、たくさんの魚がミキサーにかけ られたようにばらばらにされてしまっている。

海乳撹拌  何百の神と阿修羅が引き合っているのは、綱ではなくて大蛇で、みんなが指先からつま先まで力の限り一生懸命に引っぱりあっているように見えた。壮大なレ リーフからは、 「そーれ!」とか「よいしょ!」とかいう神様たちのかけ声や、海がかき混ぜられる轟音、切り刻まれる魚たちの叫び声までが聞こえてきそうだった。
  しかし、突き詰めれば、不老不死という長寿につながるめでたい伝え話であり、カンボジアの人たちはこの話を好むのか、乳海攪拌の「綱引き像」がシェムリ アップの街中にも見られた。

驚くべき急傾斜の第三回廊の階段、入場禁止に胸なでおろす

へっぴり腰で階段を降りる  「乳海攪拌」のレリーフが終わると、第一回廊 をちょうど半周したことになる。見学コースは、第一回廊からさらに内側の第二回廊へと入る。第二回廊への階段はかなり急傾斜だが、あちこちが崩れかけた石 段の上にしっかりとした木製の階段が補強されていて、危なさは感じなかった。

  第一回廊とは違って、第二回廊には壁面の彫刻などの装飾はいっさいなく、見るべきものも な いので、階段を上りきるとそのままさらに内側の第三回廊へとむかった。第三回廊へは、数十段の急勾配の階段が待っていた。とは言っても、昨年12月からこ の階段の上り下りが禁止され、階段にはひもが張られ、「NO ACCESS」と書かれた札かかけられていた。

現在は入れます 下から見上げるとほとんど垂直に見える石段はところどころが壊れかけており、とても登れそ うにはない。禁止されるまで、みんなよくこんなところを登っていたものだと驚いた。クライミングを趣味にしている妻は悔しがったが、立ち入り禁止になって いて助かったと思ったのは、私だけだっただろうか。

  第三回廊への入場が禁止されたことで、おのずと寺院の真ん中にそびえ立つ中央塔の見学もできなくなった。私たちは、第三回廊の外側を歩いて東面から西面ま で引き返し、十字回廊を通って本堂の外へ出た。

日本人の「落書き」 サボットさんが、十字 回廊には日本人の落書きがあるというので、私 は、日本人がまた恥をさらしてくれたかと思ったが、実は、1632年(寛永9年)に、森本右近太夫がアンコールワットを訪れた際に記したもので、当時の落 書きは、今や貴重な歴史の記録になっている。右近太夫は仏像を4体寄贈したそうで、いったいどうやってアンコールワットまでたどり着いたのか、並々ならぬ 先人の労苦に思いを馳せた。

回廊の中 このころには雨はすっかり上がっており、本堂を出てからも、西塔門にむかう間、少し歩いては本堂の方向を振り返り、何度もカメラのシャッターを切り、アン コールワットの姿をカメラに納めた。
  さすがにアンコール遺跡の象徴だけあって、歩いて回るだけでもたっぷり2時間かかった。とくに回廊の彫刻は見応えがあったが、聞きかじりでもいいからヒン ズー経の神話を勉強しておけば、もっと興味を持って見ることができたかも知れない。

アンコールワット ガイドのサボットさん は、一生懸命、日本語で解説してくれたが、聞き取 れなかったり、理解できなかったり、あるい は、こちらが詳しいことを質問できなかったことなど、やはり、「日本語ガイド」の限界を感じざるをえなかった。

  とは言え、初めてのアンコールワットを十分に堪能できた。明日の早朝、もう一度、朝日のアンコールワットを眺めに、この場所に来ることになっているが、名 残は尽きず、参道を出てからも、何度も塔の方向を振り返った。

雨の中で出会った物乞いの幼子に心を痛める

像で見物 すでに17時をすぎていたが、私たちは、この日の最後の見学として、プノン・バケンという丘の上に建つ寺院を訪ねた。丘の麓まで車で 行くと、頂上までは徒歩、もしくは、ゾウで行くしかなった。ゾウは、登りだけ乗せてくれて、一人15ドルだという。

  私たちは、もちろんひたすら歩いて上った。旅行スケジュールには、「プノン・バケンからの夕刻のアンコール ワット見学」と書いてあった。ところが、丘の頂 上までたどりつき、さらにプノン・バケンの急な階段を冷や汗を垂らしながら登り切り、ようやく「アンコール遺跡の夕刻の情景」が見えるという場所まで到着 したにもかかわらず、「夕刻の情景」どころか、あいにくの雨に煙って、アンコールワット寺院の姿さえ確認できなかった。

 JTBの旅行ガイドには、夕日に照らされて金色に輝く丘の上から見たアンコールワットの写真が出ていて、それに期待して来てみたらさんざんだった。はじめ からこんなもんだと言ってもらえたら、ここまで苦労して上ってこなかったのにと、麓で待っているサボットさんを恨んだりした。

雨も一段落  引き返す途中、路上で物乞いをしている3、4歳の幼女と2人出会った。両手を合わせて蚊の鳴くような小さな声で観光客に恵み乞う幼女は、2人とも、アン コールワットの参道で「モデル料」をねだった子どもたちのような貪欲さも快活さもなく、小さな姿が、ふたたび降り出した小雨に濡れて痛々しかった。
  カンボジアには義務教育がない。お金がなければ、当然、学校にも行けない。学校どころか、明日の暮らしにさえ困る家庭の子どもたちは、こうして物乞いをし て生活していくしかないのかもしれない。
  物乞いをする子に施しを与えてはいけない、子どもは「うま味」を覚えるだけで、結果的にはその子のためにならない。だから、かわいそうだと思ったらそのお 金をユニセフに募金すべきだと言うが、目の前の子どもたちに何とか手をさしのべる方法はないものか。

 そんなことを考えながら下り坂を歩いていると、反対方向 から二十歳を超えたばかりに見える日本人のアベックが上ってきた。男の方が、きつい上りにくたびれ果てた様子で、「かったるいなぁー」とあたりの人たちに も聞こえるような声を出しながらだらしなく歩いていた。これを聞いた私たちのすぐ前を歩いていた若い女性が、日本の男の情けなさにあきれながら、「最後に 急階段の最大の難所が待ち受けているとも知らないなんて、か わいそうな男ねぇ」とつぶやいたことが痛快だった。

  豊かさの中にいる日本の若者の態度に情けなさを感じたのは当然だが、そうした豊かさの一方で、カンボジアをはじめ、勉強もまともな生活もできない子どもた ちが世界には何百万、何千万人といる。そんな子どもたちを助けることのできない無力さには、自分自身が情けない気持ちになったのだった。

アプサラダンス 今日の遺跡観光はこれで無事終了し、その足で、市内のレストランまでむかった。夕食には、カンボジアの宮廷舞踊、アプサラダンスを鑑賞しながらのバイキン グ料理が用意されていた。
  アプサラダンスとは、「天女の舞」という意味だそうで、インド舞踊に似ているようにも見えたが、手の指先を大きく反対側にそらしたり、片足で動きを止めて ポーズを取るなど、とても特徴的な踊りだった。やはり、みんな小さい頃から習っているらしく、指を反り返 させる訓練もあるそうだ。

アプサラダンス カンボジアの歴史と伝統を伝える舞踊が、独裁者ポルポトには気に入らなかったようで、数多くのダンサーが虐殺され、絶滅の危機に瀕したそうだ。そんな悲し い過去を感じさせることなく、黄、緑、赤の色とりどりの衣装をまとった5人の女性は、踊りが終わると、舞台の上でにこやかにあいさつした。
 明日は、朝日に輝くアンコールワットを見るため、早起きしなければならなかった。

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