ついにやって来た!
アンコールワット

 そうこうするうちに、 飛行機は無事に着陸した。窓からのぞくと、空港の建物は、とてもこぢんまりとしていて、沖縄の離島の空港を思い起こさせた。タラップを降りて、歩いて到着 ゲートまでむかうあたり、まさにローカル空港のおもむきだ。

いよいよ「e-visa」が威力を発揮

  ゲートを入ると、ほとんどの乗客がいっせいにビザの申請窓口に殺到した。私たちは、すでに「e-visa」を持っていたので、ガラガラの入国カウンターに 直行した。おそるおそる係官にビザと入国カードをはさんだパスポートを手渡す。こちらが、覚えたばかりのクメール語であいさつしても、男性の係官は、言葉 を返すわけでもなく、書類を点検しながら、カウンターの上に取り付けられたカメラらしきものを動かした。入国時に顔写真を撮影されるとガイ ドブックに出ていたことを思い出し、レンズに顔を向けた。

ビザ申請の書類  パスポートを返され、私が、「オークン(ありがとう)」と言っても、やはり係官は口を開くことなく、早く行けというような顔をしただけだった。こうして、 あっけなく入国審査を終わった。後ろを見ると、ビザ申請の人たちは窓口でまだ長い列をつくっていた。
  スーツケースを受け取り、空港を出ると男性が私たちの名札をもって立っていた。サボットさんという現地ガイドだった。おたがいにあいさつし、ノイさんとい うドライバーの運転でホテルまでむかう。この2人が2日間、私たちをお世話してくれる。

美しいホテルの庭園  夜の8時を過ぎていて、あたりは、まっ暗だった。このあたりは電気が来ておらず、自家発電やバッテリーでまかなっているそうだ。カンボジアの首 都プノンペンから北西に300キロ離れたシェムリアップには約80万人が住んでいるが、ホーチミンの華やかさはなく、ネオンサインどころか家の灯りも見え ず、ところどころに街灯はあっても光は弱く、暗くて寂しい道がつづいていた。

庭園の池にうかぶハスの花  ホーチミンより北にあっても、熱帯気候であることには変わりなく、むっとした暑さだった。昼間は40度近くになるとサボットさんは言った。約20分ほど で、今夜から2泊する予定のソフィテル・ロイヤル・アンコールに到着した。ホテルでは、「JOH」と名札のついた男性の日本人スタッフから、ホテルの施設 などを一通り説明をうけ、部屋まで案内された。

  ロビーやレストランなどのメインの施設と客室棟とは分けられており、客室には、ホテルの中央にある池に架けられた渡り廊下を通って入るようになっている。 まさに南国のムードに 溢れていた。まっ暗な池からは、カエルの鳴き声がして、少しびっくりした。
  広い客室に入ると、ウエルカムフルーツが置いてあるなど、さすがリゾートホテルとあって、客への心配りはぬかりない。一息つくと、ホテルのレストランをの ぞいてみることにした。

渇いたのどにうまかったアンコール・ビール  渡り廊下でつながったレストランで、現地の女性らしいウエイトレスにピザなど軽食はできないか聞くと、日本語のメニューを持ってきて、パスタならできると いう。お腹にたま るものなら何でも良かったので、メニューの一番上にある料理をたのんだ。飲み物は、私は「アンコール・ビール」という地元の缶ビールを、妻は、缶に入った ソフトドリンクを注文した。
  夕食時には、カンボジアの民族舞踊を見せるディナーショーがあるとJOHさんに聞いていた。ショーも終了し、すでに9時をまわっていたが、レストランには まだ何組かの客がいた。その人たちも部屋に帰り、私たちも、パスタを食べ終えると、ひっそりとしてしまったレストランから引き上げた。

  移動の疲れで深く眠っていたところを、鳥の鳴き声に起こされた。カーテンを開けて、バルコニーに出てみると、ホテルに植えられた木々の間を鳥が飛び交って いた。6時30分にレストランに行くと、すでにたくさんの客たちが食事をしていた。私たちのような日本人とともに、東洋人、欧米人など客の人種は雑多だ。

1000を超す歴史的建造物を持つアンコール遺跡に入場

民族楽器をひく女性  食事は、バイキングになっていて、洋食とともに現地の料理や、中国の麺やチャーハンなどもあった。コックがその場でオムレツを焼いてくれるコーナーには、 何人かが列をつくっていた。その他、サラダやフルーツ、ヨーグルトなどがあり、パンの種類も豊富だった。私たちは、山盛りの料理を皿にとり、世界各国の言 葉が行き交う中で、ゆっくりとリゾートの朝食を楽しんだ。
  今日の出発は、9時半になっている。時間はたっぷりあったので、ホテルの中を散策してみることにした。レストランを出て、客室とは反対方向の渡り廊下を行 くと、広いプールがあった。まだ8時前というのに、欧米人の太った中年の女性が水着になって、プールサイドのデッキチェアに横になっていた。今日は、一 日、日光浴を楽しむのだろうか。

  ロビーを通って、表玄関から外に出ると、道路の向かい側にバイクタクシーの運転手たちが待ち受けていて、みんな大声で乗らないかと誘った。「トクトクタク シー」と呼ばれるバイクタクシーを、1日チャーターして遺跡巡りを楽しむ方法もあるそうで、私たちも、観光中、数え切れないほどのバイクタクシーを見かけ た。
  外に出てぶらぶら歩いてみようとも思っていたが、運転手たちの勧誘のあまりの激しさに恐れをなし、早々と引き上げてきた。

  出発の時間になり、ロビーに行くと、すでにサボットさんが来ていた。左の肩のところにマークが着いたベージュ色のシャツを着ていた。アンコール遺跡の中で は、同じような服装の人に何人も会ったから、これが、現地のガイドたちの制服になっているのだろ う。

行列にならぶ人々 車に乗り、まずはアンコール遺跡群への入場券売り場へと向かう。ホテルを出ると、近くの公立病院には、門の外まで病気の子どもを連れた母親たちが診察の順 番を待っていた。無料で見てもらえる病院は、シェムリアップにはたったひとつしかないらしい。

  遺跡観光は、有料となっていて、入場券があれば、すべての遺跡を見て回ることができる。ここには、1,000を超える遺跡があるという。アンコールワット は、その広大な遺跡群の一部分にしか過ぎないのだ。

3日間のフリーパス 入場料金は、1日券が20USドル、3日券が40ドル、一週間なら60ドル取られる。私たちは、2日だけだったが、一度買えば2日間フリーパスとなる3日 券を買った。サボットさんに教えられたとおり、窓口にあるデジタルカメラに顔をむけて写真を撮り、ほどなくすると、顔写真入りの入場カードが完成する。こ のカードは、遺跡巡りに必須であり、各遺跡の入口に係の人がいて、かならずカードの提示を求められた。失礼だがアバウトな国と思っていきや、どんな小さな 遺跡でも係員にまじまじとカードを点検されたのは意外だった。

地図で説明するサボットさん  朝5時から夜の7時まで開いている遺跡群に通ずるゲートでも、毎日、カードを提示しなければならないが、こちらは、車のウインドウ越しにちらっと見せれば 通らせてくれる。
  ゲート通過後、車に乗っていよいよ最初の遺跡であるバンテアイ・スレイへとむかう。アンコール遺跡群では、入口から最も奥の方にあり、車で行っても50分 もかかると聞き、遺跡群の広さを実感した。途中、いくつかの遺跡の前を通ったが、すでにたくさんの観光客が来ていて、急な石段を遺跡の頂上まで登っている 姿が見えた。

遺跡と大樹がからみあう不思議なタ・プロームの遺跡

 車は、観光客が乗ったバイクタクシーを追い越し ながら、畑や民家の間を走っていった。高床式の民家は、遺跡が世界遺産になる前から住んでいる人たちのもので、今は、居住は許されてはいても、家を新築す ることは禁止されているそうだ。地元の人たちには、ここは生活の場であり、遺跡群の中には学校もある。

  ところどころ、日用雑貨食品を売る店や、屋台のような食べ物屋が集まったところがあったが、これらは、地元住民のマーケットのようだ。マーケットには、も ちろん土産物も置いてあった。
遺跡 道路は、アスファルトで舗装されていて、狭い道を大きなトラックがすれ違い、バイクや自転車なども走っていた。ほとんどが、通勤、通学の人たちだそうで、 地元の人たちには、大事な生活道路なのだ。
  車は、9時半にバンテアイ・スレイに着いた。じりじりと照りつける熱帯の日差しに恐れをなし、妻は、車をおりるなり、みやげ物屋でつばの広い麦わら帽子を 買った。

バンテアイ・スレイの遺跡 バンテアイ・スレイとは、「女の砦」という意味だそうで、900年代につくられたヒンズー教の寺だ。名前のとおり、遺跡の中心には、「東洋のモナリザ」と 呼ばれてきた女性の彫像があるのだが、世界 遺産に指定されてからは、中心部への立ち入りが禁止され、今は「モナリザ」の顔を拝見することはできない。

 バンテアイ・スレイは、遺跡群のなかでも彫刻が最も美しいとされており、入口の門には、ゾウや神様の精緻な彫刻が施されていた。また、「モナリザ」が入っ ている部屋の壁には、両脇に女性の像が彫ってあり、とても優美な感じだった。観光客も多く、パンフレット売りがうるさいほどしつこくまつわりついてきた。  

朽ち果てた遺跡 ふたたびノイさんの運転する車に乗って、タ・プロームの遺跡にむかった。12世紀中ごろに建設された寺院で、遺跡の中では比較的新しいのだが、いたるとこ ろで建物が崩壊している。現在、ドイツのチームが修復をすすめているそうだが、いったい何年かかるか想像がつかない。

巨大な根っこ  崩れた石垣や塀の間に巨大な樹木が根を張り、 遺跡と絡み合って不思議な雰囲気をつくっていた。アンジェリーナ・ジョリー主演の「ツーム・レーダー」は、ここでロケーションがおこなわれたそうで、アン ジェリーナは、その際に出会ったカンボジアの子どもを養子にもらいうけ、夫のブラット・ピットといっしょに面倒をみている。

タプロームの遺跡 遺跡に絡む巨木の根本には、「spung」と記された立て札があり、現地で「スッポン」という意味らしい。たしかに、スッポンのように遺跡に噛みついてい る。これらの樹木も遺跡の一部であり、当然、保護の対象だが、心ない観光客たちが木に名前を彫りつけていた。その中に漢字を見つけたが、「柳高」という名 前は中国人らしく、日本人の仕業でなかったことに胸をなで下ろした。

遺跡 タ・プロームの遺跡を出たところで、10人ほどの男性が、カンボジ アの民族楽器を演奏していた。その脇に、英語や日本語で「地雷の安全撤去を求める」というようなことがかかれた看板が立てられていた。サボットさんは、地 雷で手足を失った人たちが、地雷撤去のための寄付活動をしているのだと説明してくれた。よく見ると、外された義足を脇に置いて演奏している男性もいた。

カンボジア料理 移動に時間を費やしたこともあり、午前中の遺跡観光は2か所だけで終わり、12時近くになって昼食のレストランに入った。地元料理の店で、2種類のカレー が出てきて、ご飯と一緒に食べると、とても美味しかった。
  食べていると、20人くらいの日本人の団体がどやどやと入ってきた。日本では、明日からゴールデンウィークに入ることもあり、日本人の数がぐっと増えたよ うにも思えた。

カンボジア料理 食事が済むとホテルに引き返し、13時から15時は休憩タイムとなる。カンボジアの人たちは、この時間帯は昼寝をするのが習慣だそうで、観光客も、その ペースに合わせるのだ。
  私たちの泊まっているソフィテル・ロイヤル・アンコールのすぐ前に、日本人女性が経営する「アンコールクッキー」の店があった。ちょうど日本を出発する1 週間前の新聞で、経営者である小島幸子さんを紹介する記事を目にしたので、クッキーをアンコールワット土産にしようと思っていた。

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