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12月26・27日

ロカ岬からシントラ、ファティマ、コインブラへ

 14時55分成田発のKLMオランダ航空の飛行機に乗り込む。アムステルダムのスキポール空港を経由してポルトガルの首都リスボンにむかう。

■ 先行き不安を感じる機内のトラブル

CIMG1980 飛行機の座席は通路側とまん中が割り当てられ、出発カウンターでは窓側は空席になると聞いていた。ところが、出発間際になって、相撲取りのような巨漢の男性外人が乗り込んできて、窓際の席に座った。

 まん中の席に座っていた私はとたんに窮屈となり、相撲取りの外人のひじやひざが私の席のほうまではみ出してくる。眠ろうと思ってウトウトしたと思ったら、ひじをつつかれて目を覚まされ、窮屈でとても眠ることなどできない。エコノミークラスとはいえ、最悪の座席となった。

 どこの国の人間かわからないその男性に文句も言えず、ひたすらガマンしていたら、妻が客室乗務員に事情を話してくれて、別の席を確保してもらったのだった。

CIMG2095 出発からいきなり災難におそわれながらも、ようやく飛行機は経由地のアムステルダムに到着、小さな飛行機に乗り継いで、現地時間の夜11時にリスボンに無事到着した。

 空港を出ると、真っ暗闇で天気はわからなかったが、それほど寒くはなかった。ツアーの一行14名と出迎えのバスに乗り込む。添乗員は、宮田さんという女性だ。バスの中ではポルトガルの生活を一通り教えてもらう。治安はあまり良くなく、とくにリスボンでは置き引きやスリも多く、手荷物はかかえて持つくらいの注意は必要だと諭される。

CIMG1981 ほどなく、バスはレアル・パルケというホテルに到着する。明日からはバスでポルトガル一周の旅がはじまる。シャワーを浴びてすぐにベッドに入った。

 一夜明けて、7時のモーニングコールに起こされるまでもなく、早々と朝食を食べて荷物もまとめ、ロビーで出発を待つ。夜中について朝早くの出発なので、ポルトガルの首都リスボンを味わうことはできないが、ツアーの最後に丸1日の市内観光が予定されていた。

■ 「ここに地終わり」~さいはてのロカ岬に立つ

CIMG1985

 そそくさとバスに乗り込み、最初の観光地であるロカ岬へとむかう。運転手はアントニオという男性で、これから再びリスボンにもどってくるまでハンドルをお願いすることとなる。今日は、リスボン在住の中村さんという女性の日本人ガイドが案内を担当し、それにアレキサンドラさんという女性のローカルガイドが同行した。現地ガイドを同行させることが義務づけられているのは、昨年訪れたスペインと同じようだった。

CIMG1989 バスは高速道路に入り、18世紀にできた水道橋をながめながら、森林公園の中を西へと走った。クリスマス休暇中とあって、車は普段より少ないと中村さんは言った。

 高速道路を降りて、シントラ山につづく坂道をひたすら登っていくと、窓外に大西洋が見えてきた。ほどなくして赤い灯台が見えてきて、ロカ岬に到着する。ユーラシア大陸の最西端の岬である。天気は曇っていて、まっ青な大西洋がひろがる先には水平線がぼんやりとかすんで見えた。風が強く、寒い。

CIMG1991 岬の近くには土産物屋や観光ガイドの事務所などがあり、事務所ではヨーロッパ最西端を訪れたという証明書がもらえる。私たちも、ガイドの中村さんがツアー全員を一括して届け出しておいてくれたので、帰るときにそれぞれ自分たちの名前が書かれた証明書をもらうことになっている。

 ロカ岬の突端には、ポルトガルの詩人ルイス・デ・カモンイスによる「ここに地終わり、海始まる」という有名な詩が刻まれた石碑が、大西洋をむいてそびえ立っている。石碑の上には十字架が立ててあり、航海の安全とこの国の平和を祈っているようだった。

00055_Capture 石碑をバックにして、ツアーのみなさんと順番で写真を撮り合った。石碑には、1979年という年号と、北緯38度47分、西経9度30分というここの位置も刻まれていた。石碑自体は比較的新しく建てられたようだが、「ここに地終わり・・・」という一文は、16世紀の長編叙事詩から引用されたものだそうだ。

 石碑から少し歩いたところ赤い灯台が立っていた。残念ながら内部には入ることができなかった。石碑以外にはとくに目に付くものはなく、忙しい年の暮れにわざわざこんなところまで来る人もいないのか、観光客もまばらだった。

ロカ岬の証明書 あたりを散策して、ふたたび石碑のところにもどると、日本人のカップルがお互いに写真を撮り合っていて、私が撮りましょうかと声をかけると嬉しそうにカメラを差し出した。聞いてみると、新婚旅行でたった二人でポルトガルまで来たそうだ。

 新婚旅行という華やかな船出が、こんなさびしいところではかわいそうという気もした。その昔、大航海時代の船員たちは、船からロカ岬を見上げ、これが見納めかもしれないと旅立っていったらしい。当時、遭難、壊血病や疫病などで乗組員の生還率はわずか20%にも満たなかったそうだ。船員たちは、悲壮な覚悟で大海原へと旅立っていったのだろう。そんなことを考えていたら、ますますさびしい気持ちになってきた。

 ロカ岬にいたのは30分ほどだけで、事務所で証明書をいただくと、バスは次の観光地であるシントラへとむかった。

■ 「エデンの園」のシントラ王宮を見学する

CIMG2014 11時にシントラに到着し、王宮を見学する。シントラ王宮は、1995年に「シントラの文化的景観」としてユネスコの世界遺産に登録された。イギリスの詩人バイロンは、19世紀はじめにスペインやポルトガルを旅したときにここに訪れ、シントラ王宮を「エデンの園」と呼んで、その美しさをたたえたという。

CIMG2009 王宮は、紋章の広間、アラブの間、カササギの間、白鳥の広間などそれぞれの部屋に分かれていて、「中国の間」には、中国から贈られた屏風や象牙の塔など高価な品物が飾ってあった。ちなみに、屏風を意味する「ビョンボ」というポルトガル語がある。日本との交流の歴史が古いだけに、さまざまなポルトガル語が日本語になっている。たとえばポルトガル語で肩という意味の「オンブ」は、日本語では「おんぶ」になり、「コンフェイト」は、こんぺいとうとして日本でもおなじみのお菓子だ。

CIMG2006 それぞれの部屋は、ポルトガルでアズレージョと呼ばれる青い絵柄のきれいなタイルで飾られている。青い色は、日本の陶器をまねたそうだ。約1時間の見学の後、王宮を出てシントラの街を歩くと、観光客がたくさん来ていて、みやげ物屋もずらりとならんでいた。ショーウインドウにはクリスマス用品も並んでいる。スペインと同じように、ポルトガルもまた年明けの1月6日までクリスマスの最中なのである。

CIMG2018 シントラの街のレストランに入り、名物のアンコウの雑炊をいただく。雑炊には、イカや貝、エビがふんだんに入っていて、アンコウの肉片は小さすぎて、どこにあるのかわからない。米は少し生煮えだったが、トマトソース仕立ての雑炊はとてもおいしく、お腹がいっぱいになった。

 午後からは約130㎞離れたファティマに行くことになっており、中村さんやアレキサンドラさんとはここでお別れとなる。

CIMG2019 昼食を食べ終えると、一人で店の外に出て、あたりを少し散策してみた。レストランの先の狭い坂道を上がっていくと、小さな飲み屋がずらりとならんでいた。店先の小さな看板に「FADO」とかかれたポルトガルの伝統歌謡ファドを聞かせる店が何軒かあり、入場料は24ユーロと記されていた。ファドは最終日のリスボンで楽しむことになっている。

CIMG2016 シントラの街を流れるテージョ川の川幅は最大で14㎞もあった。テージョ川にかかるバスコダガマ橋は、ヨーロッパでも一番長い橋だそうだ。まるで海のような川の護岸に大型客船が停泊していた。
 バスは郊外に出て、ファティマまで高速道路をひたすら走り続ける。ポルトガルで高価なのは、車とガソリンだそうで、それもあってか、道路を走る車は少ない。道の両側に農地や牧場、荒れた土地が延々と続いていた。畑にはブドウの木らしきものが植えてあった。雨粒がぽつぽつとフロントガラスにあたる。天気は下り坂だ。

■ ひざまずいてマリア様のもとに歩み寄る信者たち

CIMG2027 15時すぎにファティマに到着した。1917年に聖母マリアが突然現れ、この地に礼拝堂を建てるように告げたという「ファティマの奇跡」で知られ、そのお告げにしたがって53年に建てられたバジリカという高い建物が、30万人を収容できるという広場の一郭にそびえ立っていた。

 信じている人たちには申し訳ないが、「ファティマの奇跡」はいかにも眉唾っぽい話だと感じた。「奇跡」が起こるまでは田舎町だったファティマを観光地にする魂胆が見え隠れするのである。実際、奇跡の起きた5月13日と10月13日には、世界中から10万人もの人がファティマに訪れ、周辺のホテルはすべて満室になるのだそうだ。

00103_Capture 広場にはまっすぐとバジリカにむかう白い細い道がつくられており、信者やこの道をひざまずきながら礼拝堂へとすすんでいく。膝当てをした年輩の女性が、両手を組んで祈りを捧げながら膝をこすりながらマリア様のところに近づいていく姿は神々しくもあり、カメラを向けるのもはばかれた。日本で言えばお百度参りのようなものなのだろうか。

 00107_Capture 教会の鐘が鳴り、礼拝堂に入るとミサをやっていた。たくさんの人が集まっていた。広場の外にあるみやげ物屋は、一つ一つの店が小さく区切られていて、どの店にも年輩のおばさんが店番をしていた。それを見て、秋葉原のラジオセンターを連想した。ただし、売っているものは、どの店も同じものでマリア様やキリストの像ばかりである。人間の手や足をかたどったパーツが売られていて、患っているところのパーツを供えることを目的に置いてあるのだそうだ。子どもの人形も売っていたが、これは病気の子どものためにお供えするのだろうか。

CIMG2025 ファティマの観光を終え、バスはふたたび高速道路をひたすら走っていく。風景はこれまでとまったく変わらない。次の目的地のコインブラまでは80㎞、約1時間かかる。今日だけで約200㎞の移動となる。

 今回のツアーに参加した人たちは、旅慣れた人たちばかりのようだった。決められた集合時間に遅れてくる人は一人もなく、食事になると、あの国はこうだった、あそこに行ったときはこんなことがあったなどという話ばかりが出てくる。
 私たちにも、「いろいろいってらっしゃるんですか?」などと聞いてくる人もいたが、聞いた本人こそもっといろいろなところに行っているに違いない。やはり、ポルトガルという国は、あちこちと行き尽くして最後に訪れるような国なのだろうか。

00182_Capture 17時すぎにコインブラのホテル、コンフォート・アルメディーナ・コインブラに到着した。部屋に荷物を置いて、夕食までの時間、こちらで買った絵はがきを日本に送るため、切手を探しに街に出てみることにした。ホテルのフロントの男性に郵便局の場所を教えてもらう。今の時間は営業しているのかと聞くと、「アイドンノー」のつれない言葉が返ってきた。このホテルの従業員はとても不親切だ。

CIMG2349 しかたなく教えられた方向に歩いて行くと、「CTT・・・」と書かれた看板が見えた。何となく郵便局のような気がしたが、中を覗いてみると本などが置いてあって図書館のようにも見えた。広いフロアーにおそるおそる足を入れ、切手を買いたいと英語で伝えると、カウンターのむこうのおじさんから整理券を持たされた。順番を待つように言われたようだが、どうしていいのかわからず、二人できょろきょろ、うろうろしていると、客の男性が身振り手振りで買い方を教えてくれて、ようやく切手を手に入れることができた。

CIMG2163 とても親切にしてもらったので、その男性に妻が日本から持ってきた絵はがきをお礼に渡したら、思いのほか喜んでくれた。
夕食はホテルの中の小さなレストランで「カルド・ヴェルデ」というグリーンキャベツのスープをいただいた。緑色のキャベツが細かく千切りにされて、味噌汁のわかめのように入っていた。メインは鶏肉のソテーにジャガイモが添えてあり、デザートもなく、いささか味気ない夕食だった。

 リスボンからの長い旅に疲れ果てて、夕食後はすぐに寝てしまった。


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