9月11日 パリの美術館めぐり

CIMG5975  今日は木曜日。日本では「ハナキン」というが、こちらでは「花の木曜日」というらしい。週の労働時間が39時間のフランスでは、一時、週休3日制が本気で議論されたそうで、その話は立ち消えになっても、金曜日は休みのようなものらしい。したがって、その前夜は、人々がいっせいに街に繰り出すので、木曜日はデパートも遅くまで開いている。オルセー美術館さえ夜の10時まで開館しているのだった

■名画よりもスリに気を取られたルーブルに行く

 さて、「ハナモク」のわたしたちの予定は、午前中にルーブル美術館を訪ね、午後からは自由時間といういたってシンプルな日程だった。

CIMG5978  今日も渋滞で出迎えのバスの到着が遅れ、ホテルを出発したのは10時近くになっていた。オペラ座の前を通って、ルーブル美術館にまで行く。すでに斉藤さんという中年女性のガイドが待っていた。セキュリティーが厳しく、入口でカバンをX線で調べられる。入ったところがガラスのピラミッドの真下になっていて、そこから自分が行きたいところに行けるようになっている。

 各国から観光客が大勢来ていたが、これでもピークと比べればずいぶんとすいているのだそうだ。しかし、館内に入る前に添乗員の粟屋さんが、スリには絶対に気をつけるようにと念を押した。ルーブルはスリの巣窟だそうで、美術館の職員組合が当局にスリ対策を要求して、ストライキをしたこともあるらしい。それを裏付けるように、館内のいたるところに、「スリ注意」の掲示が見られた。

 PIC_0401  斉藤さんも同じように、ショルダーバッグは前に下げて手で押さえるようにとくり返す。防御していることをスリに分からせれば、スリも用心して近寄ってこないのだという。と、スリの話をしているうちに”SULLY”という表示の出ている展示場に入る。斉藤さんが、「スリの話ばかりしているので、わたしたちもスリ(SULLY)の部屋に入ります」とジョークを飛ばした。ルーブル美術館は、SULLYとDENON(ドノン)、RICHELIEU(リシュリ)の3つに展示エリアが分かれていて、わたしたちはSULLYから入ったのだった。なぜそんな名称が付けられているのかはわからない。

PIC_0403  さて、はじめに彫刻が雑然とならべられている部屋に入る。これらはローマ時代のギリシャ彫刻のコピーなのだと言う。コピーといえども、本物はすべて破壊されてしまっているので、貴重な作品ばかりだそうだ。さらに先に行くと、ひときわ大勢の人だかりができていて、その中心にさりげなく「ミロのビーナス」が飾られていた。ミロス島の畑で出土されたことから名付けられた。これは本物だ。

PIC_0405  大理石でできたミロのビーナスは、教科書やテレビで見てきたように両腕がもぎ取られていたが、ふくよかな身体が彫刻の美しさを際立たせていた。1820年に農夫によって発見された彫像の破片をつなぎあわせて、ギリシャ彫刻ミロのビーナスが復元された。大英博物館がギリシャから盗んできたパルテノン神殿の彫刻と同様に、ミロのビーナスもギリシャ政府が返還を求めているそうだが、フランス政府はもともとフランス人のデュルヴィル提督がトルコから買い取ったものであることを理由にして、返還には頑として応じないそうだ。

CIMG5988  次にこれも有名な「サモトラケのニケ」にたどり着く。サモトラケ島で発掘された彫刻で、ニケは英語読みするとナイキとなり、アメリカの有名な運動靴メーカーの名前にもなっている勝利の神様だ。クビがなく翼を伸ばした彫像の周りにも、たくさんの人たちがカメラを構えて押し寄せていた。

 その次に「アポロの間」に入る。ゴブラン織りで描かれたルイ14世の絵などを通って「ナポレオンの戴冠式」の絵の前に出る。これは、前日にベルサイユ宮殿でも拝見したが、こちらは絵の大きさが格段に大きい。よく見ると下の方にだらしなく寝そべる犬の姿がある。ガイドの斉藤さんの解説によると、この犬は当時の商業画家がみずからの腕前を見せつけて、お客さんに気に入られるように絵のテーマとは無関係に描いたものだそうだ。他にも、よく見ると皿が無関係に描かれていたりする絵もあり、当時の画家たちは、絵が売れるように涙ぐましい努力をしていたようだ。

 ■突然に目の前にあらわれたモナリザ

CIMG5996 展示はルネッサンス時代の芸術へと移る。すでにイタリアのウフィツ美術館で見たことのあるようなマリアやキリスト、天使たちを描いた宗教画が所狭しと壁に掛けられている。ラファエロやミケランジェロなどの絵や彫刻を見ていくうち、ルネッサンスの最高芸術、ルーブルのシンボルでもあるレオナルド・ダ・ビンチの「モナリザ」にたどり着いたのだった。

 壁面にモナリザだけが飾られており、ガラスでガードされた絵の前には、カメラを持った人たちがぎっしりと集まっていた。ガイドの斎藤さんが絵の説明を一通りし終わった後に、5分間だけ写真タイムがとられたが、斎藤さんは、この人だかりの中にはかならずスリがいるので、どんなにカメラ撮影に夢中になっても、カバンはしっかりと抱えているようにとしつこいように警告をくり返した。

CIMG6002  初めて目にするモナリザに必死に近づいていくのだが、絵の前は世界中からやって来た観光客で何重にも人垣ができていて、容易に近づけそうにない。しかたなく、少し離れたところからカメラを上に差し出して、モナリザを何とかカメラに収めた。人々は殺気だったようにモナリザに群がっていた。

 門外不出の名画モナリザは、これまで3度ルーブルを出たことがある。ニューヨークと日本で催された展示会にそれぞれ1度ずつ貸し出され、もう1度は盗難にあったためだという。お客の財布を盗むスリもいれば、世界一の絵画を盗み出す大泥棒もルーブルにはいたのだった。そんな危ないところなので、グループの人たちはさんざんガイドの斎藤さんに言われていたこともあり、幸い誰一人とスリの被害にあわなかった。それにしても、それほどまでスリが多いのならば、警察が見張っていれば済むことなのだが、この国ではすべて自己責任らしく、館内のどこにも警官の姿は見あたらなかった。治安の面では、フランスは少し危なさを感じた。

CIMG6010  その後、おそらく誰もが一度は目にしたことのあるドラクロワの「民衆を率いる自由の女神」が飾られている部屋に入る。ここも人だかりができていたが、モナリザに比べればたいしたことはない。胸をはだけた女神が旗を振りかざして凛々しく描かれているが、意味もなく上半身裸になっているわけではなく、女神はすべて裸で描くという宗教画のお約束があるらしい。このお約束にしたがえば、本当ならばドラクロワの女神も全裸で登場すべきなのだが、民衆のたたかいという全体の雰囲気が壊れると判断したのだろう。

CIMG6007  これを見た観光客の日本人は、フランスの女性はこんな風にたたかうのかと、斎藤さんに訊いたそうだ。周りの人たちとは違って、女神はあくまで空想の存在だが、この絵を見るとそんな風に思ってもしかたないだろう。なお、この絵のなかには、ドラクロワ本人が山高帽をかぶって登場していることも有名だ。

 つづく展示室には、ミケランジェロによる彫刻「瀕死の奴隷」「反抗する奴隷」が飾られている。いずれも未完成だとのことで、ミケランジェロの作品には未完のものも多いそうだ。斎藤さんのガイドによると、この作品も、他国から盗んできた作品だそうだ。

CIMG6012  次の部屋に入ると、展示品は趣が変わって、メソポタミア文明の出土品がずらりと並べられていた。ハムラビ法典で有名なハムラビと神様をかたどった石像や、サッカラ神殿にあった石のレリーフなどを鑑賞して、フランドル絵画の部屋に入る。オランダやベルギーの絵が中心で、ファン・ダイクやルーベンスらの宗教画が、大きな壁面に所狭しと飾られていた。

 ルーベンスは外交官だったので、絵を描いている時間などなく、その多くは彼の指示のもとで弟子が描いたものだという。ルーベンスが手がけた24枚の絵画が、「ルーベンスの部屋」と呼ばれる展示室にまとめて展示されており、高さが3メートル、幅が2メートルほどある大きな絵が並んでいた。これらは、マリー・ド・メディシスと言われる女性の一生を描いた連作となっている。

PIC_0486  ルーベンスの絵を急いで見ると、すでに時間は12時を過ぎており、あっという間に午前中の鑑賞はタイムアップとなった。美術館のゲートを出たところで解散となり、午後からは自由行動となる。私たちは、大急ぎでオランジェリー美術館へとむかった

ルーブルからオランジェリーを回りオルセー美術館へ

 オランジェリー美術館は、ルーブルから歩いてすぐに行ける距離にある。セーヌ河岸の歩道を歩いていると、”Can you speak English?”と訊きながら近づいて来る女性がいて、手には画板らしいものを持っているので、一目でガイドさんから用心するように伝えられていた「署名スリ」と気づき、「ノー、ノー」と手を振ってかわした。

PIC_0501  よく見ると、後を2人の女性が距離をあけて歩いており、立ち止まったら3人で取り囲んでカバンの中身を抜き取るつもりだったのだろう。話には聞いていたが、実際にスリに遭遇して少しビックリした。なお、翌日、ツアーのみんなから話を聞くと、同様のスリに近寄られた人たちが私たちのほかにも2組いたので、またまたびっくりした。

 無事オランジェリー美術館に着くと、入口でオランジェリーとオルセーを通しで見られる入場券を購入した。ここには、ルノアール、セザンヌ、ピカソ、モジリアニ、ユトリロなど、一度はテレビや本でお目にかかったような名画が展示されていた。

CIMG6026  圧巻だったのが、モネの「睡蓮(すいれん)」だ。楕円形の部屋の壁、360度の全面に睡蓮の巨大な絵が飾られていた。天井がすりガラスになっており、上から自然光が差し込んでいる明るい展示室が、モネの描いた睡蓮を引き立てていた。

 約1時間ほどでオランジェリー美術館を一回りして、オルセー美術館へとむかった。オルセーには、ロートレック、ミレー、マネ、ドガ、ルノアール、シスレーなどとても一言で語り尽くせない世界の名画が集まっていた。

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オルセー美術館の中
撮影が許されるのはここまで

 誰もが知っているミレーの「落ち穂拾い」の前には、小学生たちが床に座って解説を聞いていた。美術の授業中なのだろう。ルノアールの名画「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」は、実物を見ると大きさに圧倒される。ドガの「踊り子」、マネの「草上の昼食」などがさりげなく掛けてあったりして、世界の名だたる絵画が無造作に並べられていることには、少し価値観が麻痺してしまうのだった。

 立ちっぱなしで足が疲れたので、オルセー美術館のカフェで遅い昼食にする。すでに2時半を回っていたが、カフェにはたくさんの人で混雑していた。入口でウエイターに席を案内されたが、なかなかオーダーをとりに来てくれず、一人で後に入ってきた女性のほうを先にオーダーをとったので、少し腹を立てて、「エクスキューズミー」と大声でウエイターを呼ぶと、ようやく私たちの席にやってきた。だが、そのウエイターからは、「みんなのところを順番に回っているので、そんなに大きな声で呼んでもらわなくてもいい」という意味のことを、すまし顔で言われてますます腹が立った。

CIMG6036  しかし、出てきた料理はとてもおいしく、チキンのパイとペンネのパスタを平らげると、怒りはおさまり、元気が出た。満足して、残りの展示室を大急ぎで一回りし、4時近くにオルセー美術館を後にした。さすがに一日中、3つの美術館を見て回ると疲れる。

 ホテルに歩いて帰る途中、本場パリのカフェに立ち寄った。日本語のメニューはないかとウエイターに訊くと、「タベモノ?ノミモノ?」と逆に日本語で訊かれた。飲み物だと伝えると、日の丸が表紙についた日本語のメニューを渡された。いろいろあって迷ったが、チョコレートムースとカフェオレを2つオーダーする。

CIMG6038  パリのカフェでは立ち飲みすると少し安くしてくれるらしい。意外だったのは、外のテーブルに座るともっとも高くつくということだ。カウンターで会社員らしい中年の女性が、立ったまま一人でワインを飲んでいた。もう5時近かったから仕事帰りに一杯ひっかけているのか、それともぐっと飲んでもうひと仕事というのだろうか、とにかくパリの雰囲気がカフェのなかに漂っていた。

 その後、スーパーでみやげのチョコレートを買い求め、デパートでは私の唯一のフランスみやげとなる、ピエールカルダンのネクタイを妻に買ってもらった。

 ホテルにやっと帰ってきたのは7時を過ぎていて、スーパーで買ったサンドイッチを部屋でゆっくりいただき、フランス旅行最後の晩餐となったのだった。(おわり)

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