9月6日 ニース~モナコ

 前日に成田を出発した飛行機は、フランス時間で17時すぎにシャルルドゴール空港に着いた。国内線の飛行機に乗り継いでニース空港に到着したのは、すでに20時を回ってあたりはすっかり暗くなっていた。

PIC_0033  今回の南フランスへのツアーは、私たちをふくめて4組の夫婦、2組の母娘の計12人が参加していた。遠くは岐阜羽島からやってきたご夫婦もいる。

 ホテルまで行くバスに荷物も積み終わり、みんな席に腰を下ろした時点で、添乗員の粟屋潤さんがあらためてあいさつし、今回の旅行の概要を説明する。走り出したバスの窓からは、暗闇ながらも道路の脇にならんだヤシの木が見え、日本の宮崎のような雰囲気をただよわせていた。

 海岸沿いにあるホテルにようやく到着したが、この時間帯では夕食にもありつけず、部屋に入ればシャワーを浴びてすぐに眠ってしまった

■リゾート地ニースをぶらぶら歩く

CIMG5593  明けて6日は、世界に名だたるリゾート地のニースは、朝からいい天気だった。7時にホテルで朝食をいただくと、さっそく目の前にひろがる砂浜へ散歩に出かけた。

 海岸には、少し大きめのジャリ石が敷かれていて、砂浜と言うより「石浜」を歩くと、年配の男性2人が水泳をしていた。水に手をつけてみるとそんなに冷たくはなく、これなら泳げそうだ。しかし、その男性たちに聞いてみると、冬でもここで泳いでいるというのでビックリした。

PIC_0010  海岸に照りつける朝日がまぶしく、はるかにひろがる海辺には、よく映像に出てくるような白いデッキチェアがずらりと並んでいたりして、いかにもコートダジュールのニースにやって来たという気持ちにさせた。

 ホテルに引き返して9時にロビーに集合し、徒歩でニース市内の観光へと出発した。ガイドをお願いするのは、ヨーコさんという日本人の女性だ。噴水や白い大きな彫像のあるマセナ広場から、朝市でにぎわうサレヤ広場へと移動する。フランス語で「マルシェ」という朝市は、テントの下で新鮮な魚介類や野菜、果物はもちろんのこと、チーズや色とりどりの花なども売られていた。早朝から午後1時くらいまで店を開けているそうだ。

PIC_0028  さらにすすんで、ニース市庁舎からオペラ座へとむかう。古い建物の市庁舎は、結婚式でも使うそうだ。このあたりの旧市街地は1700年代に建てられたもので、保存地区になっているので、個人では勝手に改修できないそうだ。よく見てみると建物の壁がゆがんでいたりする。

 海岸に出ると、すでに多くの人たちが水泳をしたり、日光浴をしたりしてニースの休日を楽しんでいた。約1時間ほどで市内をぐるりと回り、その後、バスに乗り込んでシャガール美術館へとむかう

■セレブの匂いがただようモナコの街中

CIMG5622  シャガール美術館は10時にオープンするので、私たちが1番乗りだった。緑に囲まれた美術館に入る。シャガールは、1887年にロシアで生まれ、1947年にアメリカに亡命、その3年後にフランスに帰化した。旧約聖書を題材にした絵や、大きなステンドグラスで飾られたホールなどを見て回った。

 時間が早いのか他の団体も少なく、館内には人影もまばらでとても静かな美術館だった。ショップでマグネットを買って、12時近くになって日差しが強くなりはじめた外に出た。

PIC_0044  美術館近くの路上に停めていたバスに乗り込む。今日の運転手はパスカルさんという男性だ。新市街地をめぐり昼食のレストランへとむかう。昼食は、ニース風のサラダからはじまり、少し塩辛いビーフシチュー、トウモロコシと小麦粉を混ぜ合わせた付け合わせが出てきた。パンナコッタのデザートがとてもおいしかった。

 午後からはモナコまで出かけた。地中海を右下に見ながら、海沿いの道路をひた走る。南フランスの天候は温暖で、避寒地として世界のセレブたちが訪れる。マイクロソフトのビル・ゲイツの別荘もモナコにある。

PIC_0069  ビルフロージュの旧市街を通り抜け、フェラ岬に近づく頃、地中海の入り江には無数のクルーザーが浮かび、そのまん中に巨大なクルーズ船がどっかりと停泊していた。世界のセレブのクルーザーは桁違いに大きく、ヘリコプターを装備した船まである。

  浜辺では多くの人たちが日光浴をしていた。いかだPIC_0022のようなものの上に寝そべっている男女のペアも見えた。ひょっとして素っ裸ではないだろうかと目を凝らしてみたが、残念ながら遠すぎてよくわからなかった。

 13時すぎにモナコへ入国する。モナコ公国は世界で2番目に小さいミニ国家として知られている。人口は3万6千人ほどで、個人所得税が課せられないこともあり、他国からの移住者の多くは、庶民が想像もつかないような億万長者たちだ。

CIMG5632  セレブの匂いがぷんぷんとするのも、そんな人たちが全世界から集まってきているからだ。フランスの統治下に置かれる小国とは言え、立派な独立国家で、23人の国会議員がいる。ただし、首相はフランスの大統領が指名することになっている。

 巨大なクルーザーが近くに停まっているカジノ広場でバスは停車した。バスを降りて、モナコのカジノまで歩く。休日とあって、おびただしい人が各国から訪れている。カジノの前の駐車場には、赤や黄色、青の原色に彩られたフェラーリ、ポルシェ、マクラーレンなど、1台が1千万円を下らない高級車がずらりと停まっていた。モナコの街はどこまでいっても、セレブたちの匂いがただよっていた。

CIMG5629  モナコグランプリでは有名なヘアピンカーブを訪れる。坂を上がっていくカーブは、180度でターンして、まさにサーキット場に作られたヘアピンカーブそのものだが、ここももちろん公道で、普通の乗用車やトラックが走り抜けていた。坂をさらに上り、帰りはその道を引き返してくる。日差しはいよいよ強くなり、坂を一生懸命登り切ったこともあり、汗がどっと噴き出してきた。約1時間ほどでバスに戻った

■崖の上の村落エズ村を一気に登りつめる

CIMG5637  バスで旧市街地に入り、モナコ公国の大公宮殿へとむかった。大公宮殿は、13世紀に城が建てられ、18世紀に現在のルネサンス様式の宮殿となった。独立国であるモナコでは、当然、罪を犯したらモナコ公国の法律で罰せられ、見晴らしのいいところに刑務所が建っていた。

 大公宮殿には、歴史博物館があって大公家の財宝を展示しているが、時間もないので博物館には入らず、大公家の屋敷が集中する宮殿近くを散策して、宮崎駿の「天空の城ラピュタ」をイメージさせる崖の上の村落、エズ村へとむかった。

CIMG5654  海抜427メートルにあるエズ村のてっぺんまで、息を切らしながら急な階段をひたすら歩く。頂上の展望台近くには植物園があり、サボテンやソテツなど南国の植物が植えられていた。展望台に着くと、地中海のながめやモナコの街がすべて見渡すことができた。F1グランプリのスタート地点や、ひしめき合うように立ち並んだ高級ホテルがよく見えた。

 CIMG5647  展望台では、ゆっくりと景色を見る暇もなく、もと来た道を引き返す。古い家がつづき、狭い道の脇に売店やレストランがところどころにあった。中世の街並みをゆっくりと時間をかけて散策したかったが、とにかくヨーコさんは、ひたすら下へ下へと急ぐようにうながす。これでは幼稚園の遠足だ。エズ村の雰囲気にひたる時間もなく、バスに戻ったのは到着してから40分も経っていなかった。これでは、散策というより展望台を往復してきただけだ。

  エズ村を出発し、ニースまで引き返す。途中、渋滞にPIC_0082巻き込まれてなかなかニースに近づけなかったが、バスは17時すぎにホテルに到着した。夕食は、19時にホテルを出て、海岸沿いのレストランまで行くことになっていたので、それまでの時間を使って、ニースのノートルダム寺院に行ってみることにする。歩いて15分ほどかかるとヨーコさんから聞いていた。街の中心の大通りは、人であふれかえっていた。デパートやブランドの店、レストランなどがずらりと並んでいて、道路にはトラムが走っていた。

CIMG5663  ひたすらまっすぐ歩き続けるとほどなく寺院に到着した。中に入るとちょうどお祈りの時間らしく、集まった人々が礼拝堂の椅子に座って待っていた。18時すぎになるとパイプオルガンの演奏がはじまって、その後、神父が登壇していきなり歌を歌い出した。賛美歌かもしれないが、聞いたことのない曲がつづいた。歌はいっこうに終わりそうになかったが、帰りの時間も気になってきたので、途中で外に出た。この寺院では、神父がああやって歌でキリストの教えを説いているのかもしれない。ふたたび街中を歩いてホテルに帰ってきた。

CIMG5667  しばらく部屋で足を休め、19時近くになったのでロビーに降りていった。ホテルから歩いてすぐの海岸沿いのレストランに、ツアーのみなさん全員で入る。メニューは、黄色いスープと焼いた魚やエビがごちゃ混ぜになった料理が出てきた。デザートのプリンはあまり甘くなかった。

 店の壁には、なぜかベニスを描いた絵が掛かっていた。ただし、料理はイタリアンではない。約2時間ほど、ゆっくりと海の幸を楽しみ、ホテルに引き上げてきた。

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