9月7日 ヴェルドン渓谷~マルセイユ

 8時にバスでホテルを出発する。きょうは、ヴェルドン渓谷など自然を楽しみながら、港町マルセイユまで行くことになっていた。きょうもパスカルの運転で海岸線の道路を軽快に走る。日曜日はカトリックの安息日でもあり、きのうと違って道はすいていた。海岸ではジョギングしたり散歩したりする人が多い。朝から泳いでいる人もいた

■リゾート地とうって変わってヴェルドン渓谷で自然を満喫

CIMG5624  ニースでは、犬を連れてショッピングに出かける人が多い。みんな愛犬のフンの後始末はしないそうだが、道はきれいに掃除されていた。

 コートダジュールの海岸線を離れて、高速道路で内陸部に入る。アウトバーンと呼ばれるドイツの高速道路は無料だが、フランスではお金を取られる。ただ、日本と比べれば格段に料金は安い。公共料金も安く、その一方で税金は高いという。日本の消費税にあたる付加価値税は20%も取られる。

  フランスには22の地域圏に96県が存在する。フランス東南部の地中海沿いの地域圏は、プロヴァンス・アルプ・コート・ダジュール地域圏と呼ばれ、6つの県に分かれている。今夜宿泊するマルセイユは、フランスでもっとも人口の多い都市で、135万人が住んでいる。

CIMG5675  バスは田園地帯を走る。やがて赤褐色の巨大な岸壁が見えてきた。フランスのグランドキャニオンと呼ばれるヴェルドン渓谷がひろがっていた。ヴェルドン渓谷は、700~800メートルもの深さを持ち、ヨーロッパでは一番深い峡谷とされる。高速道路を降り、坂道がつづく一般道を走り、どんどん高度を上げていく。急カーブが多くなり、道路の脇は赤褐色の岩肌がつづく。いよいよ渓谷に入ってきたことを感じる。

 突然、渓谷に似つかわしくなく軍隊の基地が出てきた。迷彩色の戦車も見える。フランスでは徴兵制が廃止されたそうだが、こんなところで任務に就く兵隊は大変だろう。小さな村を通り抜け、牧草地がつづく。羊の群れが見えたが、ちょうど毛刈りが終わった時期らしく、ふわふわの毛を持って行かれた羊たちはまるで山羊のようだ。

PIC_0091  10時に展望台でバスを降りて、渓谷をひと眺めする。切り立った断崖の下にはエメラルドグリーンの川が流れ、雄大な景色だ。展望台の近くにはドライブインがあって、車やバイクでやってきた人たちが集まってきた。

バンジージャンプ
谷底に落ちていく女性

 ふたたびバスで走っていると、渓谷に渡した橋の上からバンジージャンプをやっていた。次から次へと足にロープを付けた人が、悲鳴を残して谷底まで落ちていった。みんな行列をつくって順番を待っているので、ためらっている時間を与えてくれない。

 標高約1,100メートルまで上がってくると、はるか下にサント・クロア湖が見えた。バスは道路を降りていき、サント・クロア湖の湖畔で停まって写真を撮った。上から眺めたときは、湖面を水上飛行機が2機飛んでいたが、いまはどこにも見えなかった。湖にはたくさんのカヌーやボートが浮かび、思い思いの遊び方で水上スポーツを楽しんでいた。

CIMG5690 渓谷の自然を満喫した後、フランスで最も美しい村の一つとされるムスティエ・サント・マリー村に12時すぎに到着する。日曜日とあってたくさんの観光客でにぎわっていた。村の中のレストランで昼食となる。日程表では、野菜の中に挽肉や玉ねぎを詰めた「ファルシ」と呼ばれる家庭料理を、ここのレストランでいただくことになっていた。ところが、野菜の入荷がなかったらしく、ファルシの代わりに豚肉料理がでてきた。フランスではよくあることらしいが、食べられないとなると欲しくなるもので、添乗員の粟屋さんもそのことは心得ていて、ツアー最終日までどこかでかならず食べさせると約束した

■世を去ってから世界的に名声がひろがったセザンヌ

PIC_0119
崖の間にぶら下がる星の飾り

 食事が終わり、小さな村でのんびりとした休日を楽しむ。教会の鐘が聞こえてきた。正装した人たちが歩いていて、きょうは結婚式があるらしい。わき水が蛇口から出てきていて、水に触れてみるととても冷たかった。村の後には高い岩壁がそびえていて、よく見ると崖と崖の間に☆の形をした飾り物がぶら下がっていた。

 ムスティエ・サント・マリー村には「星の伝説」があって、地元生まれの騎士が十字軍に参加してサラセン人の捕虜となったが、無事に故郷へ帰れたら聖母マリアに星を捧げると誓いをたて、願いがかなって無事帰国した兵士は、約束通りにここに星をぶら下げたのだという。

CIMG5702 そんな伝説に引きつけられるように、多くの人々がこの村を訪れていた。レストランでゆっくりと食事を楽しんだり、みやげ物屋に入っておみやげを見たりしていた。日差しが強く、きのうよりも暑い。気温は30度を超えている。13時半ころにバスに戻り、ふたたびプロバンス地方の田園地帯を行く。いくつもの小さな村を通り過ぎ、ヨーロッパの風景ではおなじみの糸杉がところどころにそびえ立ち、石の壁と瓦葺きの家々が建ち並んだ田舎道をバスは走り続けた。

 約2時間後、エクス・アン・プロヴァンスに到着する。人口14万人の都市だ。旧市街地をぐるりと取り囲む環状道路を走る。沿道には、ナポレオンⅠ世が植えたとされる樹齢200年のプラタナスが並ぶ。途中、現地ガイドの脇本さんを乗せて、セザンヌのアトリエまで行く。

CIMG5705  「近代絵画の父」と称されるポール・セザンヌは1839年に生まれた。銀行家の一人息子で、父親が残した財産でセザンヌも働く必要はなく、創作だけに打ち込めたそうだ。これから訪れるアトリエも父が持つ広大な別荘地の一郭に建てたもので、1902年に完成したがセザンヌはそのわずか4年後に67歳で亡くなっている。

 アトリエは静かな住宅街にあり、ごく普通の民家のようだった。高い天井の部屋の北側には、採光用の大きな窓がある。南側にも窓があるが、北側ほど大きくなく、鎧戸が閉まっていた。

CIMG5706  室内には背の高いイーゼルがまん中に置かれている。静物画を得意としたセザンヌが絵の題材に使ったワインの瓶や水差し、セザンヌが使っていたコートや帽子、傘などが当時のままにアトリエに残されている。それらの中に骸骨が3つ置かれていて、少しびっくりした。セザンヌは、骸骨を絵にした作品を晩年に発表していて、これをモデルに使ったようだ。

 セザンヌの画風は写実的でもなく、うまいのかへたなのか凡人にはわからない。確かにはじめは評価が低く、絵はいっこうに売れなかったそうだ。それでも描き続けられたのは、父親が残した莫大な遺産のおかげだ。売れない絵を描き続けていたことで、地元では大金持ちのドラ息子として通っていたようだ。だから、エクス・アン・プロヴァンスには、彼の作品は残っていないらしい。

PIC_0125  モネやルノワールらとともに、セザンヌも印象派のグループで活動していたが、当時、絵の基本とされていた遠近法を崩した独自の画風に変化し、それにピカソがヒントを得てキュービズムへと発展する。しかし、彼の作品が評価されるようになるのは晩年になってからで、20世紀の美術界に多大な影響を与え、名声が世界的にひろがったのは彼が死んだ後だった。「ドラ息子」が描いた絵は、いまでは何十億円の値が付く。

CIMG5711
”アルルの女”の民族衣装

 アトリエを出て、脇本さんのガイドを聞きながら、エクス・アン・プロヴァンスの旧市街地を歩く。18世紀のバロック洋式の建造物がならぶ町並みは、パリにつづいて美しい街なのだと脇本さんは強調した。旧市街にある貴族の屋敷は、いまは博物館になっている。民族衣装を着た女性が通りを歩いていた。

 ミラボー通りに出ると、地元のNPOサークルがお祭りをやっているらしく、えらくにぎやかだった。道路では、サルサやフラダンスを踊ってCIMG5724いる。ユニセフ、ライオンズクラブなどあらゆる地元の団体が出店を開いて、組織拡大にあの手この手で宣伝している。プラタナスが両側に植えられた大通りには、たくさんの人々が近隣の街から集まってきていた。

 17時半に噴水のあるロータリーに停められたバスにもどり、脇本さんとは別れて、今夜の宿泊地であるマルセイユへと出発した

■バスタブがなかった港町マルセイユのホテル

PIC_0154  高速道路を30分ほど走り、バスはマルセイユに到着した。フランス第2の都市とあって、人が多く、活気にあふれている。田舎ばかりを旅してきたこともあって、その落差は激しい。アラブ人街には、イスラムの衣装や顔をベールで覆った女性、独特の丸い帽子をかぶった男性などであふれていて、バスの窓からながめただけだったが、近寄りがたい雰囲気がただよっていた。商店も、イスラム系の食品店や衣料品店がずらりと並んでいる。

PIC_0148  バスはアラブ人街を抜けるとマルセイユの港に出た。大小たくさんの船が港に停泊していた。港の周りには大きなビルが建ち並んでいる。遊覧船らしき船のそばには、人々が長い列を作って乗船を待っていた。車やバイクが勢いよく通り過ぎていき、港町の活気を感じる。

 マルセイユの港など市内観光を楽しみたかったのだが、旅行日程ではここはホテルに泊まるだけで、翌朝はすぐにアルルまで出発することになっている。せっかくフランス第2の都市に来たのに、少し残念だった。

CIMG5733  食事の後にでも自由時間をとってもらえれば、市内をぶらつくことぐらいはできたが、そんな余裕さえなかった。しかも、ホテルは港からは離れていることもあり、翌朝に早起きしてもマルセイユ港あたりを散策することは無理だった。

 日本で言えば神戸で観光して、夜に大阪まで来て、翌朝には京都まで行くイメージだ。とてもへんな日程なのだが、はじめからわかっていたことなので、ここで文句を言ってもしかたがない。

 さて、レストランのブイヤベースは、はじめに黄色いスープが出てくる。カニ味噌のような色で匂いもまさにカニ味噌そのものだ。その中にパンを浸して食べるのが流儀なのだと、粟屋さんがマナーを教える。パンにはチーズや黄色いマヨネーズのようなものを塗って、スープにつけ込む。

CIMG5735  珍しかったのと、おいしかったので、調子に乗ってパンを4つほど食べると結構お腹がふくれた。しかし、その後、スープに入れる魚介類が別に出てきて、ここからがブイヤベースの本番になる。白身魚や輪切りにしたウナギ、ムール貝など海の幸は、港のレストランでいただいたこともありとてもおいしく、たっぷりのカニ味噌スープ(?)に入れて完食する。デザートは、アイスクリームとレモンのシャーベットが出てくる。

 テレビの海外番組では、よくブイヤベースを見たことがあるが、実際に食べてみてこんなものかという感じだった。新鮮な魚介類はおいしかったが、とりたてて美味というほどでもなかった。

CIMG5739  食事を終え、ホテルに到着したのは9時近くになっていた。割り当てられたホテルの部屋に入ると、風呂にバスタブがなかったのでいささかビックリした。粟屋さんに話すと、マルセイユのホテルではバスタブがない場合があると、事前にお知らせしたとのことだった。確かに、日本に帰ってみて案内パンフレットを見たら、とても小さな文字でそのことが書き記されていた。その場では、しぶしぶ了解はしたが、いい感じはしなかった。

 しかたなくシャワーだけ浴びて、ベッドに入った。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。