5時に目が覚めた。カーテンを細く開けてみたが、外はまだ暗く、遠くの山影がうっすらと見える程度だった。6時を過ぎる頃から太陽が上りはじめ、山々が輪郭を浮かび上がらせた。昨夜は暗闇を流れていた仁淀川は、水面が青く輝きだした。

中津渓谷で七福神がお出迎え

ホテルから見た仁淀川 まさしくこれが、「仁淀ブルー」だった。旅館自慢の美しい風景に、さっそくカメラを向ける。広い川幅の両岸をつないで、単線のレールが敷かれた鉄橋が架かっていた。レールの上を、たった一両だけのジーゼルカーがとことこと走っていく。

 朝食の時間になり、2階のレストランに降りていく。バイキング料理の品数は豊富で、窓の外に見える仁淀川も美しく、のんびりと朝食を楽しみたかったが、今日の日程は忙しい。あと1時間もすると、宿を出発しなければならない。

 8時になり、飲み物代などを精算してかんぽの宿をあとにする。駐車場には昨日より一回り小さい宮地観光のバスが停まっていた。ガイドは昨日と同じ貞吉さんだが、運転手は伊藤さんから浅井さんに交代する。

 右端がガイドの中山さん旅館を出るとしばらくバスは市街地を走る。通勤の時間帯に加え、週明けだったので、街中へとむかう反対車線はずいぶん混んでいた。やがて山間地に入り、のんびりとした山あいには民家がところどころに建っている。国道33号線の下には仁淀川がゆったりと流れていた。どこまで走っても山と川ばかりで、高知県全体の人口は江戸川区よりも少ない。

 約1時間ほど走って、バスは中津渓谷に到着する。渓谷の入口にはバスを停める広場や売店などあって、そこで中山陽子さんという地元のガイドさんが待ち構えていた。50代と自己紹介する中山さんはとても元気がよく、学校の先生をしていたそうで、子どもを相手しているように、はっきりと大きな声で話す。コロナで出番もなかったのか、ひときわはりきっていた。

 中津渓谷は、高知と愛媛の県境にある中津明神山(標高1,541メートル)を源流とする中津川に沿った渓谷で、中津川は仁淀川へと流れ込む。あした訪れる大歩危小歩危などとともに「四国のみずべ八十八か所」に選ばれていて、澄んだ川の流れと1億7千年前のチャートが作り出した渓谷美を見に、全国から観光客がやってくる。駐車場に停めてある自家用車には、神戸や広島といった県外のナンバーも見えた。

 雨竜の滝で中津川に沿って整備された細い道を歩いて渓谷を散策する。たまにすべって川に落ちる人もいるようで、足下に気をつけるようにと中山さんはわたしたちに何度も声をかける。まるで怖い先生にしかられる子どものようだった。ツアーの参加者には高齢の女性もいて、片道約1.5キロの道のりはちょっと辛そうだった。

 いくぶん肌寒かったものの、天気がよくて水辺の空気がさわやかだった。何より、自慢の「仁淀川ブルー」は美しく、太陽の光に反射して青く映る川の水は、まるで青色の絵の具がとけこんだようだった。水は澄みわたり、深い川底まで見通すことができた。川には小さな魚が気持ちよさそうに泳いでいた。

 渓谷には、ところどころに七福神の石像が置かれ、ユニークな姿で楽しませてくれる。毘沙門天、恵比寿天、弁財天、大黒天、福禄寿とつづき、休憩所でひと休みした後、寿老人、布袋和尚と巡ると、「雨竜の滝」にたどり着く。高い岩場から落ちてくる滝の前で二人並んで写真を撮ってもらい、もと来た道を引き返す。

アニメで人気が出た「にこ淵」

仁淀ブルー 出発地点の広場まで戻ると、すでにバスが待ってくれていた。渓谷入り口にある『笑美寿茶屋』の店先には、地元で取れたゆずや野菜、手作りこんにゃく、蜂蜜などがずらっと並んでいて、ツアーの一行の中にはたくさん買い込む人もいた。ガイドのお礼を言って中川さんと別れ、ふたたびバスに乗り込んだ。

 さらに約1時間ほど走り、「にこ淵」に到着する。国道沿いにバスを停め、崖の下まで急な鉄の階段をそろそろと下りていくと、川の水が溜まって淵になり、淵の向こう側にある滝を飛沫をあげて水が流れ落ちていた。

 どこにでもある平凡な風景だったが、今年の夏に公開されたアニメ映画『竜とそばかすの姫』の舞台になってから観光客がどっと押し寄せるようになった。この日も若い人たちの姿がちらほら見えた。しかしながら、貞吉さんの解説では、にこ淵は昔から水神の化身とされる大蛇が棲むとされ、地元の人々は近寄らない神聖な場所という。確かに、マナーを守り、静かに見るようにという立て札もあり、地元住民はどうやらあまり来てほしくないようだった。特にこれといった見どころはなく、鉄の階段を上って足早に引き返す。

にこ淵で バスで1時間ほど仁淀川沿いを走り、昼食のためモンベルが経営する『アウトドアビレッジ本山』に立ち寄る。コテージや体育館、温泉施設、団体宿泊棟もある大きな施設で、本格的にアウトドアスポーツを体験できる。もちろん、モンベルの商品を揃えるショップもある。

 レストランに着くと、時間はすでに13時を回っていた。昼食のメニューはビーフシチューで、それにパンが付く。山あいの風景にこのメニューは似合わないが、よく煮込まれた牛肉は柔らかく、とてもおいしかった。グループの中には、別料金でビールを頼み、うまそうに飲んでいたご夫婦もいたが、真っ昼間のアルコールはよく回るので、午後の日程も考えてここで飲むのは遠慮した。

 そそくさと昼食を済ませ、妻は待ちかねていたようにモンベルのショップへと急ぐ。店には手袋や靴下といった小物やアウトドアウエアなどさまざまな品物がずらりと並べてある。一人乗りのカヌーまで売っていた。東京のアウトドアショップを上回る品揃えだ。妻は長い時間をかけて店内を回り、アウトレットの手袋を安く手に入れて喜んでいた。まさか仁淀川まで来て手袋を買って帰るとは思わなかった。

レール付きの賽銭箱にびっくり

豊楽寺薬師堂 遅い昼食を済ませた後は、一路バスは徳島県の祖谷へとむかう。その途中、高知県大豊町にある豊楽寺に立ち寄る。バスは国道から外れて、狭い道をゆっくりと上っていく。窓を覗き込むと、ガードレールもない道の下は急な崖になっていて、ハンドルを切り損ねれば、バスもろとも真っ逆さまに崖下に落ちていく。昨日よりバスが一回り小さくなった理由がわかった。後で聞くと、運転手の浅井さんは冷や汗をかいたと言ってはいたが、プロの腕前は確かなもので、乗っていてもまったく危なげはなかった。

 大田山大願院豊楽寺は、724年に建立された古刹で、「日本三薬師」の一つに数えられる。四国最古の建造物であり、国宝の薬師堂には、日光菩薩像、釈迦如来像、薬師如来像、阿弥陀如来像など、数々の国の重要文化財が収められている。無学な人間にその価値がわかるはずはないが、ご住職の解説をうかがいながら静かな山寺を拝観して回ると、何となく心が洗われたような気分になった。

薬師堂の前で 薬師堂の前には、大きな賽銭箱が置いてあった。この賽銭箱が薬師堂の全景を撮影する際にじゃまになると文化庁からクレームがつき、賽銭箱の下に車輪をつけてレールで移動できるようにしたそうだ。実際に、ご住職がわざわざ賽銭箱を押して動かしてみてくれた。重そうな賽銭箱が、レールの上を軽々と移動する様子を見て、ツアーのみんながいっせいに驚きの声を上げた。

 再び冷や汗をかきながら坂道を下り、バスは国道を走って県境を越え徳島県に入った。17時に大歩危小歩危(おおぼけこぼけ)の渓谷にたどり着く。吉野川の激流によって岩が削られた8キロにもおよぶ大渓谷は、2015年に国指定名勝となっている。

 その風変わりな名前の由来は、切り立った断崖を大股で歩くと危ないので、それを縮めて大歩危と名付けたとガイドの貞吉さんは言うが、諸説あるようだ。大歩危と小歩危は少し離れていて、明日は大歩危まで行ってしまうので、バスを降りて赤川橋の上から小歩危をバックにして写真だけを撮り、30分後に祖谷渓温泉の『ホテル秘境の湯』という、ベタな名前の旅館に到着する。

 小歩危をバックにして旅館は、秘境という名が似つかわしくない鉄筋コンクリートの大きな建物で、わたしたちの部屋は別館の13階だった。本館、別館、温泉棟に分かれていて、温泉旅館にありがちな後から次々と建物を継ぎ足した建物はひどく不便で、大浴場がある温泉棟へは2回もエレベーターを乗り換えなければならない。「秘境の湯」に浸かるにはひと苦労なのだ。

 温泉棟の2階にある宴会場が夕食会場になっているので、入浴後にそのままタオルを持って夕食にむかう。もうツアーのみなさんはそろっていて、すでにちびちびと地酒を味わっている男性もいた。わたしたちを待ってくれていたようで恐縮した。

 今宵も盛りだくさんの料理をゆっくりと味わい、ふたたび2度エレベーターを乗り換えて部屋まで帰ってきた。もう一度風呂に行くなどという気にはとてもなれず、ふかふかの布団に入って寝てしまった。

11月16日(火) かずら橋から大歩危小歩危 →