1月1日

元旦のトルコ観光は「温泉三昧」

ホテルの前の道路で トルコで2009年が明けた。おせち料理はないが、朝、ツアーのみなさんと会うと、一応、「あけましておめでとうございます」とあいさつした。
 朝食を食べて、7時に荷物を出す。そして、8時には出発という、いつもながらのあわただしいスケジュールだ。トルコの西半分を、それもバスで8日間で回らなければいけないのだから、しかたがない。

ホテルの窓から雪景色が見える ホテルの外に出てみると、夜中に雪が降ったのか、道路にうっすらと新雪がつもっていた。とても寒く、震え上がった。おそらくマイナス10度以下だろう。バスの車内に駆け込むと、今日もお世話になるジェマルさんがすでに運転席に座っていた。「グナイドン」と朝のあいさつを交わす。

■「モハメッドのあご髭」は本物なのか?

コンヤの市街地 コンヤの人口は100万人、トルコではアンカラに次いで大きな都市だ。ビルが建ち並び、広い道路にバスやトラム(路面電車)が行き交っていた。コンヤにはセルジュク大学という5万8千人の学生が通う学校があって、トラムも学生の通学用に18年前にできたそうだ。

コンヤの博物館 広い道路を走っていると、畑の中の一本道を走り続けたカッパドキアが、ひどく田舎に思えた。実際に、これといって自慢できるものもない「ど田舎」が、世界遺産に指定され、全世界から観光客が訪れるようになったのは、青天の霹靂と言える。そのおかげで、田舎暮らしを敬遠した地元の若者たちが、ふたたび戻ってきて、今は5割以上を24歳以下が占めている。それは、カッパドキアにとっても、幸いだったと言えるのかもしれない。

礼拝所だった博物館 さて、バスは、はじめにメブラーナ博物館に着いた。メブラーナとは、「我が師」という意味で、教団創始者のジェラルディン・ルーミーのことだそうだ。博物館は、はじめ、教団の礼拝所だったが、政府の政策で1925年に教団は解散させられ、その2年後に博物館としてオープンして、現在に至っている。

モスクを背景に(やっぱり寒そう!) 9時半の開門までにはまだ時間があったので、バスの中でニハットさんがイスラム教を熱心に語った。あまりに話に熱が入りすぎて、開門時間を過ぎてしまい、後から来た外国人の団体に先を越されてしまった。今日は休みとあって、たくさんの人たちが見学に来ていて、館内に入って、あちこちを見て回る間に、あっという間に人がいっぱいになった。

博物館の看板? 陽気なイタリア人の団体がいたり、イスラム教を勉強しているらしいトルコの若い女性たちがグループで見学しに来ていたりで、博物館は賑やかだった。館内には、さまざまな時代に作成されたコーランが陳列され、それらとともに、イスラム教の開祖モハメッドのあご髭がある。ただし、髭は銀の小箱の中に入っていて、中身を見ることはできない。失礼だが、私には、これが本当にモハメッドのものなのかどうかも疑わしかった。

■エジプトで見たスーフィーダンスを思い出す

コーランを書いた教書 こうした歴史的な品物とともに、メブラーナの舞を解説するコーナーがあった。メブラーナが考案した旋回舞踊はセマと呼ばれ、旋回しながら踊ることで、無我の境地にたどり着くという教団の修行の一つでもあり、世界的にも有名だ。 メブラーナのめざした思想であるスーフィズムをもじって、「スーフィーダンス」などと見せ物にした舞踊を、私は、かつてエジプトのナイル川クルーズのショーで見たことがある。そのとき、スーフィーダンスの男性ダンサーは、色とりどりの衣装に身を包み、最後はぐるぐると回転しながら自分の衣装の一部を取り外して、座布団回しのようにして見せたことを覚えている。

コーランがびっしり これとは対照的に、メブラーナの舞踊家は、純白な衣装と黒い山高帽という地味な姿をしている。踊るときは、右手を上に上げ、左手を下にする。神から愛をいただき、それを人々に分け与えることを象徴しているという。舞踊は、宗教儀式であるという理由で、教団解散の際に旋回舞踊までも禁止されたという。1970年代になって、政府の宗教政策も緩和され、今では、メブラーナの舞もホテルなどのショーでも見ることができる。約1時間ほどかけて館内を見て回ったが、人の流れは絶えず、次から次へと見学の人々が訪れていた。私たちは、人の間をぬうようにして、外に出た。

■沈む夕日とコーランの調べにもの悲しさを感じる

バスの窓から見た風景 ふたたびバスに乗り、パムッカレをめざす。コンヤには、2万6千人が犠牲になり、30万人が家を失った1999年のトルコ大地震の際、多くの被災者が移り住んできたそうだ。それにつれて、街も拡大したそうで、郊外には大きなマンションが建ち並んでんでいた。地震の際には、3%の消費税を8%に引き上げて、5%を地震の復興のために使ったそうだ。ニハットは、助け合いのためなので増税にはだれも反対しなかったと胸を張って話した。東日本大震災の復興のため、いま、復興構想会議が「基幹税」の増税を打ち出しているが、まさかこのとき、トルコのような話が日本でも現実におこるとは考えもしなかった。

遺跡の前で さらに郊外にでると、小麦畑がひろがっていた。とはいえ、真冬の今は雪の平原でしかない。天気がよければ、トロス山脈まで見えると聞いたが、今日は天気が悪く、遠くがかすんでいた。霧も出始めていた。トロス山脈はトルコのアナトリア半島南部を東西に走る山脈で、デミルカズク山(3756メートル)といった富士山とほぼ同じ高さの山もあった。なお、トルコの最高峰は、カイセリの近くにあるエルジエス山で、3916メートルである。目をこらしても、デミルカズク山の姿は見えず、約2時間、バスはひたすら雪の原野を走り続けた。途中、いくつかの村落を通ったが、どこの村にも先の尖ったモスクの塔が建っていた。

夕闇が迫るパムッカレ 16時半に世界遺産パムッカレに到着した。パムッカレは、トルコ語で「綿の城」という意味だそうで、温泉の石灰分が巨大な崖を流れ落ち、長い年月のなかでまさにお城の城壁のような形を作り出したものである。自然が作り出した雄大な石灰棚には感動するものがあった。温泉は残念ながら流れておらず、水たまりからかすかに湯気があがっているだけだった。裸足になって足をつけた人は何人かいたが、みんな冷たいと言っていた。ほかの場所には、温泉がふんだんに湧き出しているところはいくつかあったが、足をつけるのは禁止されているとのことだった。

パムッカレの街の家々 添乗員の松田さんによれば、昔は入浴もできたそうだが、そのことで石灰が汚れたそうで、今は、石灰棚を保護するために、そうした行為がすべて禁止されている。数千年にわたって作られた石灰棚も、いつかは温泉が枯渇し、崩れていく運命にあるようだった。ちょうど山並みに夕日が沈み始めており、そのとき、パムッカレの街のモスクからコーランが聞こえてきて、眼前にひろがる「綿の城」に、なぜかもの悲しさを感じた。

■パムッカレの温泉ホテルで巨大露天風呂を堪能

 バスの駐車場まで帰ってきて、パムッカレのホテル「PAM THRMAL HOTEL」にむかう。日本語にすれば、「パムッカレ温泉ホテル」とでも言うのだろうか。ここには、天然温泉の源泉があって、スパ施設はパムッカレ随一だそうだ。巨大な温泉プールには、24時間入ることができる。

 部屋に荷物を置いて、とくにこれといったごちそうもないバイキングの夕食をそそくさと済ませると、さっそく目当ての温泉プールにむかう。プールは屋内にあって、外は真冬の寒さだったが、室内は、むっとする熱気がこもっていた。入り口のフロントにスタッフがいて、バスタオルを貸してくれた。お風呂ではないので、当然ながら水着を持ってくる必要があるのだが、なければ「色つきの下着」でOKらしい。私も、10年ぶりくらいに海水パンツを履いた。

PAM THRMAL HOTEL のHPより  おそるおそる足をつけると、日本の温泉のように熱くはなく、少しぬるめのお湯が好きな私にとっては、いい湯加減で、いつまでも浸かっていられそうだったが、ただ、プールは120センチくらいの深さで、ゆっくりと座ることはできない。

 それにしても、トルコに来て、温泉気分を味わえるとは思わなかった。「いい湯だな」でも歌いたくなるほど、しみじみと室内のプールにつかってくつろぐと、今度は、屋外プールに行ってみることにした。日本なら、露天風呂である。階段を上がって、屋上に出ると、身体が冷気に包まれた。巨大な露天風呂のてっぺんに源泉があって、その下にプールが階段状につくられていた。上まで4、5段ほどあって、上に行くほどお湯が熱く、下に行くほどぬるくなって、自分の好きな湯加減が楽しめるという仕組みだ。

噴き出す温泉 源泉からは、火山のマグマのように勢いよく空にむけてお湯が噴き出していたが、冷気にあたってすぐにさめて、落ちてくるときは冷たい水になってしまう。だから、源泉が吹き出る近くはかえってお湯がぬるく、また、一番下もぬるすぎるので、私には、上から2段目くらいのプールがちょうど良かった。

 あたりを見回すと、老若男女が「混浴」のプールに浸かっており、家族連れのトルコ人もたくさんいて、みんな温泉をゆっくりと楽しんでいるようだった。岩でごつごつしたプールの底には、黄土色のヘドロがたまっていて、これを身体に塗るとすべすべになるという。湯は、硫黄の臭いがするが、味はなく、色もそんなに濁ってはいない。最初、巨大な浴場を売り物にしている熱海の「水葉亭」という旅館が頭に浮かんだ。ただし、海水パンツを履くことと、洗い場がないことが大きく違う点だ。

 プールを出ても、時間は早かったが、さすがに湯疲れしてしまい、ドリンク代だけで見られるというベリーダンスショーには行かず、寝てしまった。

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