12月31日

寒さに震えながら世界遺産カッパドキアを見て回る

カイマクル地下都市の入口 7時30分のモーニングコールを待つまでもなく、6時から開いているというレストランに出かけていった。トルコ料理が中心のバイキングを食べ、部屋に戻って8時過ぎにスーツケースを出す。わずか数時間の慌ただしい滞在となった。ホテルを8時40分に出発する。あいかわらず雪が降っていたが、雲の間からは青空も見えていた。ジェマル運転手のバスは、最初の見学地であるカイマクル地下都市へむかった。途中は、一面の銀世界がひろがっていた。気温はマイナス6度だ。

地下都市を説明するニハットさん 地下都市は、キリスト教徒がアラブ人からの迫害から逃れるためにつくった住居だそうで、カッパドキア全体で300以上あるそうだ。カイマクル地下都市は、地下50メートルにおよぶ洞窟で、もちろん現在は観光用だが、かつては5千人が共同生活をしていた。外は寒いが、洞窟の中は暖かくて住みやすかったそうだ。住民は、いくつかの組に分かれ、それぞれの組が持ち回りで共同の仕事を分担した。

 各部屋の境にある頑丈な石のドアは、外敵の進入を防いだ。洞窟の天井は、頭がぶつかるほどの低さで、背をかがめながら歩く。隠れ家である限り、洞窟からの煙は厳禁で、そのため、住民は、煙の出にくい火力の高い羊の糞を使った燃料で、煮炊きをしていたそうだ。肉を薄く切って焼くといった細かな工夫もしていたようだ。むかし台所だったところの天井には、真っ黒なススがべっとりとついていた。

■目が飛び出るほどに高価なトルコ絨毯

 洞窟の見学は30分ほどで終わり、外に出ると、駐車場までの道の両側は土産物屋が並んでいて、雪が降る寒い中でも、店員たちが片言の日本語で熱心にさまざまな品物をすすめてくる。

 ニハットによると、土産物店の店員には、英語は必須だそうで、トルコ観光省が若者たちの雇用対策のため、無料で外国語を教えているそうだ。このあたりの村の人口が減っており、過疎化対策にもなっているらしい。こうした政策もあって、56%が24歳以下の青年だそうだが、その一方で、若者が増えて治安が悪くなった面もあるようだ。

 ちなみに、トルコには大学卒業後の就職に当たっての規制があって、教育学部を出れば教師に、観光学部はガイドにならなければならないそうだ。ニハットさんも、観光学部を卒業してガイドの仕事についている。トルコの土産物は、青い目玉の魔よけが有名だ。トルコ語で「ナザール・ボンジュ」という陶器でできた丸いお守りは、あらゆるサイズがあって、至る所で売っていた。値段もまちまちで、中には「30個千円」など日本語で投げ売りしている店もあった。

絨毯工場の縫子の女性 バスは、トルコ絨毯の店へとむかう。パック旅行にはお約束の、免税店での買い物タイムだ。流ちょうに日本語を話す男性が出てきて、あれやこれやと品物を紹介する。トルコ絨毯の中でも高級品の「ヘレケ」という商品だそうで、安いものからはじまって、だんだんと品質があがっていった。 トルコ絨毯の特徴は、「ダブルノット」と言って、二重に糸を通すことで、いくら踏んづけでもふわふわの状態が維持されることだ。工場では、その独特の織り方を実演していた。

高級じゅうたんがびっしり

 しかし、そうした手の込んだ品物は、やはり値が張り、目玉が飛び出るほど高価な絨毯が床にずらりとならべられた。客たちに対する男性の殺し文句は「円高」の一言で、「今でしかこの値段で買えない」と言われると、買わないと損するような気になってしまう。しかし、日本の生活には似つかわしくない高級絨毯ではやはり手が出しがたく、ひたすら指をくわえる退屈な時間を過ごさなければならなかった。

■紅白歌合戦もなく、トルコの大晦日は何もなし

洞窟の住居跡 ようやく絨毯の店から解放され、ウチヒサールという街をへて、昼食の洞窟レストランへとむかう。途中の沿道には、洞窟でできた民家がいくつもならんでいた。これらは、今は住民は住んでおらず、みんな近代的な家に住んでいた。1970年代前半までは、洞窟の民家で暮らしていたそうで、お年寄りたちは、洞窟のほうがよほど住みやすく、隣近所のつきあいもあったと嘆いているのだそうだ。主を失った洞窟の民家は、もともともろい火山灰でできていることもあり、だんだんと崩れてきていたのが痛々しかった。

昼食のメニュー 午後1時に到着した洞窟レストランは「BORA」という名の店で、「嵐」という意味らしい。まさに洞窟のなかに並べたテーブルを囲んで、座布団を敷いた石の上に座って食事をとるという観光客のためのレストランだ。メニューは、丸ごと一匹のマスを料理したこのあたりの名物がメインで、そのほか、スープとマメ料理がでてきて、ライスが付く。マスは味が付いていたが、テーブルには、日本人のために、キッコーマンのソイソース(醤油)が置いてあった。

キリストのフレスコ画 午後からは、キョレメ野外博物館を訪ねる。雪をかぶった洞窟の中にあるいくつかの教会を回るのだが、この時期の野外見学は、ひたすら寒く、ふるえながら歩いた。ここには、バジル教会、リンゴの教会、バルバラ教会、蛇の教会、暗闇の教会、サンダルの教会があり、それぞれの教会には、フレスコ画が描かれており、リンゴの教会には、「最後の晩餐」の壁画もあった。サンダルの教会の入り口は、かつてあった石の階段はすでに壊れてしまい、鉄の階段がつけられていた。自然の洞窟である限り、やがて教会自体も崩れ去っていく運命なのかもしれない。

暖かかった洞窟の部屋その後、洞窟のなかに作った観光用のトルコの民家を訪問し、暖かいチャイ(茶)をいただいた。野外見学で冷えた身体には、リンゴの風味がするお茶が身にしみた。最後にセルベ谷に行き、カッパドキアの象徴でもある奇岩・キノコ岩を巡り、コンヤの街へとむかった。ホテル・デュンダルに到着後、ホテル内のレストランで食事をした。

雪のカッパドキア さむ! 大晦日の夜、当然、年越しそばが出るわけでもなかったが、ホテルでは、レストランの入り口に風船が飾ってあったりして、新年を迎えるような華やいだ雰囲気がただよっている。たくさんの人たちがロビーでたむろしていて、ホテルは賑やかだった。トランプをしているグループなどもいた。夜遅くまで起きていて、新年を祝うのかもしれなかった。
日本なら、紅白歌合戦となるところだが、部屋に帰ってもとくにすることもなく、いま日本が何日の何時なのかもわからないまま、ベットに入って早々と眠ってしまった。

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