ジョホールバ-ル、セントーサ島

9月5日(火)ジョホールバール~セントーサ島

 午前9時にホテルを出発する。今日は、お隣の国マレーシアに入る。と言うと大げさだが、シンガポールとは目と鼻の距離にあるジョホールバールまで行き、半日だけ観光して帰ってくることになっている。

■国境を越えるとそこはマレーシアだった

モスクの全景 ホテルを出発してわずか30分ほどで、わたしたちを乗せた車はマレーシアとの国境に到着した。半日とはいえ、入国の手続きは必要だ。ジョホール水道にかかる橋を渡ったところにマレーシアの入国管理事務所や税関などがあり、黒い布で顔を隠した女性が窓口に座っていて、入国手続きをしてもらう。

 無事にマレーシアに入国し、途中から中国人女性の現地ガイドが車に乗り込む。わずかな時間だが、ジョホールバールでの観光案内をしてくれることになっている。サリーさんも行動をともにする。まずは、サルタン・アブ・バカール・モスクやベサール宮殿などの見学へむかう。

モスクの前で サルタン・アブ・バカール・モスクは、マレーシア国内有数のイスラム寺院で、2千人も入られる礼拝堂があるという。ただし、イスラム教徒以外は入場はできないので外からの見学だけだ。入国手続きの女性が、黒い布で顔を隠していたことを思い出す。マレーシアは敬虔なイスラム教徒の国なのだ。

 ベサール宮殿は、ジョホールバールの初代国王が1866年に建てた宮殿で、いまは、博物館となっていて、美術品や装飾品が展示されている。ちなみに、ジョホールとは、「新しい」という意味で、バールは宝石の意味だそうだ。

 これらの建物がある一帯は、広々とした公園となっており、遠くにはシンガポールの街が見渡せる。敷き詰められた青々とした芝生が、夏の光に映えてさわかやだった。宮殿を見学した見たあとは、庶民の家も見てほしいというわけなのか、高床式になっているマレーシアの民家を訪問した。

広々とした宮殿の庭

 どこの民家に入るのだろうかと、おそるおそる現地ガイドについていったら、粗末な小屋に案内された。小屋には狭い舞台が設えられ、その前に椅子がいくつか置いてあった。促されるままに腰掛けるやいなや、にぎやかな音楽とともに、華やかな衣装をまとった数名の女性が出てきて、いきなり民族舞踊がはじまった。

 しばらくそれを見せられ、その後、民家には行かずに、お決まりのようにみやげ物屋に連れて行かれた。民家の見学などではなく、きょうの最大の目的はこれだったのだ。

■とっても高価な錫の物入れを購入

いきなり始まった民族舞踊 マレーシアは錫(スズ)の産地だそうで、錫の置物や食器などが売られていた。どろどろに熔けた錫を、型に流し込むという作業の実演までやっていた。なかなか見事なものだった。もちろん店内には錫の製品だけでなく、マレーシアの特産品がさまざま置いてあり、ゆっくりと見て回っていた父に、あっという間に4、5人の女性が取り巻いた。

 女性たちはとても愛想が良く、やれこっちの品物が良いとか、これはお買い得だとか、安くしておくなどと父にしつこくせまった。客は私たちだけなのに、やたらと店員だけが多く、あやしげな店だと妻も私も用心していたのだが、父は1万数千円もする錫製の円筒形の物入れを、あっという間に財布から日本円を出して買ってしまった。

民家を見学 たぶん、父にすればせっかくマレーシアに来た記念に、何か買っておきたかったのだろう。母はさんざんあきれて見ていたが、父にすればいい買い物をしたと思っていたはずだ。ちなみに、父の買った錫の物入れは、いまは父の形見のように回り回ってわたしの家にある。フタに「茶」と漢字で書かれていて、たぶん、茶筒として売られていたのだと思うが、そこにお茶が入っているのをわたしは見たことがない。

 買い物タイムが終わると、ようやく民家の見学となる。見学と言っても、部屋は一応はきれいにはしてあったが、実際に生活している居間や寝室にずかずかと入っていって見せてもらうだけで、これといって注目すべきものはない。ここでは、普通に暮らしている家までが観光の対象になるようだ。

ランより美しい二人 ジョホールバールの観光はここまでで、12時にはすでにマレーシアをはなれてシンガポールに引き返す。ふたたび国境を越え、シンガポール市街地にむかう途中にある『マンダイ蘭園』を見学する。約4万平方メートルの敷地には100万本のランが植えられているそうで、どの花も珍しいものばかりだった。

 花々はとても素晴らしかったが、園内はひたすら暑く、真夏の太陽が容赦なく照りつけていた。そのうえ、車のエアコンが故障していて、車内にいると汗だくになった。午後1時になって、ようやく昼食となる。シンガポールに帰ってきてはいたが、なぜか、マレーシア料理のレストランが用意されていた。

 料理は、タイ米がはじめに出てきて、カレーや、魚や肉などの料理がふんだんにあり、八宝菜まで出てきて、バラエティーに富んでいた。汗まみれになっていたこともあり、冷えたビールが最高にうまかった。

■『マーライオン』からの眺めは絶景

マーライオンタワーをバックに 午後は、今回のツアーのハイライトでもあるセントーサ島での遊びを楽しむ。ジェットコースターや観覧車など派手なアトラクションこそないが、シンボルの『マーライオン・タワー』をはじめ、水族館や博物館などが島内に作られたテーマパークである。

 最初にマーライオン・タワーに上がる。シンガポールの「象徴」マーライオンをそのまま高さ37メートルに巨大化させたもので、中にはエレベータがついている。ただし、エレベータは10階までで、12階の展望台までは、階段で行かなければならない。母も階段はきつそうだったが、ここまで来ればてっぺんまで上らないわけにはいかないと、一生懸命に階段をのぼった。

 上がってみると、タワーの頂上からの見晴らしは抜群で、インドネシアの島々を見渡すことができた。しばし景色を堪能したあとは、ふたたび階段とエレベータで降りて、モノレールに乗って『アンダーウォーターワールド』と名付けられた水族館へとむかった。世界でも有数の熱帯海洋水族館で、水槽がドーム状に作られていて、見上げると天井に魚が泳いでいた。

みんなちょっとお疲れ気味 水族館の隣の『バタフライパーク』には、何種類もの蝶が「放し飼い」されていて、その隣の『セントーサ昆虫博物館』では、世界の昆虫標本が展示されていた。「昆虫館」という言葉に、おどろおどろしさを感じたのは私だけだろうか。絶滅してしまった昆虫も多く展示されていて、よくこれだけの種類を集められたものだと感心する。

 これらを回っているうちにあっという間に時間がたち、ケーブルカーに乗ってセントーサ島から帰ってきた。ゴンドラの窓からは、遠くにマーライオン・タワーが見えた。マーライオンが私たちを見送ってくれているようだった。

■ナイトクルーズでふたたびマーライオンへ

マーライオンタワーの上で 午後5時半にホテルにたどり着き、30分だけ休憩した後、サリーさんの案内で、ふたたび夜の観光へと出発した。今日は一日中歩きづめで、タワーにも上ったことで、母の足はだいぶつらそうに見えた。もう少しゆっくり休める時間があればと思ったが、この夜は『クラーク・キー』のレストランで食事したあと、リバークルーズなど予定は盛りだくさんだった。

 『クラーク・キー』は、観光客には有名なナイトスポットだ。19世紀のシンガポールの街並みを再現したという。川沿いには、パブや屋台などがならび、たくさんの観光客が詰めかけていた。夕食は、中華料理の店にはいる。酢豚、マーボードーフ、チャーハン、焼きビーフンなど食べ慣れた料理がテーブルに並んだ。

『クラーク・キー』で 食事がすんだあと、リバークルーズに行く。「バムボート」という屋根付きの小型船に乗り、約30分かけて見どころを回って帰ってくる。マーライオンは、夜はきれいにライティングされていて、船はすぐそばまで行って、記念撮影のためにしばらく停まっていた。

 クルーズが終わり、8時半にホテルに帰ってくる。明日は、終日自由行動のあと、夜の便で日本へ帰ることになっているので、ガイドのサリーさんともここでお別れだ。最後のシンガポールの夜を楽しもうと、私たち二人だけで、寸暇を惜しむようにふたたび夜の街に繰り出した。

リバークルーズの船上で まずは、夜遅くまで開いている高島屋やそごうでおみやげを物色する。そごうの地下はスーパーになっていて、チョコが安そうだったのでたくさん買ったのだが、そのあとにいった高島屋にさらに安いチョコレートがあって、すこしがっかりした。その一方、高島屋の店員はサービスが悪く、日本語もまったく通じない。それに、土産に買った置物に箱がつかなかったことも、いたく不満だった。

 デパートを出ると、超高級ホテルの『ラッフルズ』へとむかう。1887年の開業以来、世界の著名人が滞在してきたこのホテルは、シンガポールでは別格だ。泊まれはしないが、ギフト店をのぞいたり、バーで一杯やることはできる。

シンガポールの夜は更ける ガイドブックに載っていたバーに入ってみたが、薄暗い店内は騒々しく、欧米人でいっぱいで、結局、何も飲まずに早々と出てしまった。その後、妻は、ホテルのギフトショップで、娘のおみやげにトラのぬいぐるみを買ったが、それがとても可愛らしくて、ホテルに帰ってきてから、自分用にもう1匹買ってこなかったことをしきりと悔やんだ。

 ラッフルズからは、タクシーでホテルまで帰ってきた。たまたま同じホテルに同宿していたご夫婦がタクシー待ちをしていて、その人たちと同乗させてもらった。いろいろ遊び回っても、まだ11時にもなっていない。人の姿も多く、シンガポールの夜はまだまだこれからというくらいに街はにぎやかだった。

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