最終日

トルコ最終日、たくさんの思い出を残して日本へ帰る

 朝9時にホテルを出発する。雨はほぼ上がっていたが、イスタンブールの空はどんよりと曇っていた。ツアーの最終日の日程は、ボスポラス海峡のクルーズから始まった。クルーズとは言っても、30席ほどしかない小さな船で、私たちのツアーで貸し切りとなる。

 エーゲ海と黒海には24センチの海面差があるそうだ。だから、その間に潮流ができ、かなり激しい流れなのだとニハットは言う。船はゆっくりとスタートし、ヨーロッパサイドをすすんでいった。ゲイで男性と正式に結婚したエルトンジョンの別荘もヨーロッパサイドにあるそうで、パパラッチはトルコまで追いかけてきて、松の木に登って、エルトンジョンのプライベートな生活を監視することがあるのだという。トルコ政府は、イメージが悪くなったと言って、新聞社を訴えたこともあるそうだ。

■どんなものでもそろえられるバザールをはしごする

 海峡には2つの橋が架けられており、年間8万6千隻の船がこの下を通るという。2つめの橋の手前でUターンして、反対側のアジアサイドをすすんだ。
橋の上では車が渋滞していた。分厚い雲におおわれた冬空の下を、幾羽ものかもめが悠然と羽をひろげて飛び交い、海峡を泳ぐ魚群にねらいをつけていた。

 橋をくぐって、マルマラ海に入る。新市街にそびえ立つ高層ビル群が遠くに見えていた。金持ちのマンションもたくさんあるらしい。旧市街だけでなく、ブランド店などがならぶ活気のある新市街を見て回るのもおもしろそうだった。

 約1時間のクルーズの後、船を下りてエジプシャンバサールへむかう。もともとは、香辛料を中心とした食品マーケットだったそうだが、観光客がたくさん訪れるようになってから、宝石店なども店を出すようになった。ニハットは、古き良き時代の雰囲気がすっかりなくなってしまったと嘆いた。

 ひしめき合う小さな店の看板には、数字が書かれていて、何番の店かを確かめながら歩けば迷うことはない。どこにいっても、店先で品物を眺めているだけで、店員がうるさいほど声をかけてくる。どこでも何とか日本語が通じる。

 店を出すには資格が必要だそうで、最低でも英語は必須だそうだ。ここらの店員が話せないのは「宇宙語」くらいだとニハットが言うほど、語学にはたけているのだろう。会話次第で売り上げが変わるとすれば、だれもが一生懸命になるのは当たり前だ。

 いくつかの店を冷やかして回り、「エドまっちゃん」と看板に書いてあった店でスカーフを買い、アップルティー、人形なども買った。ひったくりやスリが多いので気をつけるように言われたが、店員には怪しげな人はおらず、スリらしい人も歩いてはいない。アップルティーを買った店に引き返してきて、「ゆべし」を追加で買ってやると、男性の店員はとても喜んだ。

■トルコ土産はバザールで買いそろえるべし

 その後、グランバザールに異動した。狭い石畳の道を大型バスを走らせる。片側に堂々と路上駐車しており、道が細くなって通れずに、バスの運転手は何度もクラクションを鳴らしては、路上駐車している運転手を呼んで車を移動させた。

 グランバザールの駐車場にはすでに何台かの大型バスが停車していて、各国から来るたくさんの人たちで賑わっていた。入り口を入ると、大きな通りに何本もの脇道が通り、宝石から衣料品、食料品、雑貨、じゅうたん、土産物にいたるまで、何でもかんでも売られている。日本で言えばアメ横を一回りか二回り大きくしたようなところである。

 イスタンブール観光の目玉でもあり、私たちのツアー一行にも約1時間の「お買い物タイム」がとられたが、みんなすでにお目当てのお土産は買いそろえられており、私たちもぶらぶらと通りを歩いて、店の中をのぞくだけだった。

店の数が多いだけに、どこも競い合うようにして値下げをしており、品物は安く、店員と掛け合えばすぐに半額くらいまでになった。イスタンブールに至るまでのドライブインなどで買ったどの土産物よりも安く、妻は最後までガマンしておけば良かったと嘆くことしきりだった。

 13時すぎから昼食となる。港からそう遠く離れていないクムカプ駅近くのシーフードレストランが集まっている一郭の店でランチとなる。イカのリング揚げ(カラマル・タヴァ)と一緒に出てきたムール貝のフライ(ミディエ・タヴァ)は、カキフライを食べているようだった。最後は、サバの切り身をトマトソースで煮込んだ料理が出てきて、サバの臭みがまったく消えていて、これはなかなかおいしかった。

■雪のカッパドキアを出発した2千キロのバスの旅が終わる

 昼食が終わると、レストラン街を散策する。名物の「伸びるアイスクリーム」の屋台で、ソフトクリームを頼んだ妻は、年輩の店主にさんざんからかわれ、手にしたアイスがいつのまにか店主に奪い取られ、なかなかアイスクリームを口にすることができなかった。それを見ていたツアー一行はみんな大笑いで、ひとしきり盛り上がったのだった。

 あっという間に集合時間となり、バスに乗り込んで空港に向かった。雪のカッパドキアから始まったトルコ旅行は、雨上がりのイスタンブールで幕を閉じた。バスで移動した距離は、2千キロメートルにせまった。ツアーの参加者は、連日の強行軍による疲労と時差ボケのため、移動中はほとんど眠っており、車内は睡眠の場となっていたが、運転手のジェロモ氏は、長旅にもかかわらず、ひたすら安全運転を続けてくれた。海外ツアーでは交通事故がよく発生し、時として犠牲者まで出すこともあるのだが、彼の運転にはヒヤリとすることすら一度もなかった。

 退屈な車内で乗客たちを飽きさせなかったのは、たどたどしい日本語をあやつるニハットの豊富な話題だった。その範囲は、観光情報から教育、さらには兵役にまでおよび、トルコの歴史と今日を熱く語ったのだった。

 日本が言いなりになっているアメリカに対する批判も交えるなど、話の内容には結構あぶないところもあったが、アジアの国々と人々に対する愛情がストレートに伝わってきて、ニハットの話は、どんな考えを持つ人でも不快にすることはないだろう。

 2千キロにおよぶ旅のなかで聞いたニハットの話を一つ一つ思い出して、紹介できないのは本当に残念だ。とにかくトルコをこよなく愛し、そして、トルコを訪れてくれた人たちを、それ以上に愛している姿がしみじみと伝わってきたのである。そんなことを思い出しては、いつかまた、トルコを訪れたいと考えているのである。

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