1月2日

あの運動靴メーカーもあったトルコ最大のエフェソス遺跡

 5時半のモーニングコールにたたき起こされ、6時から朝食をとり、6時45分にパムッカレのホテルを出発した。午前中は、3時間バスに乗ってトルコ最大級の遺跡のあるエフェソスまでむかう。その後もバスに乗って、ペルガモンという遺跡を見学することとなっている。今日は、ひたすらバス移動と遺跡めぐりの一日だ。

 イスタンブールが終点となるバスの旅も、すでに地中海・エーゲ海に近づいており、雪に震え上がったカッパドキアからすれば、かなり寒さもゆるんでいた。バスは延々と田園地帯を走っていたが、ガイドのニハット氏の解説では、トルコには、マンゴーとココナッツ以外は、なんでも穫れるそうで、道の両側には、イチジク畑やミカン畑がひろがっていた。

■またも高価なレザー製品の押し売りにうんざり


 トルコの土産では、「ロクム」というお菓子が有名で、外見や味も日本の「ゆべし」そっくりなので、日本人に対しては、トルコの店員も「ユベシ、ユベシ」と言って売り込むのだそうだ。だいたいどこの店でも1箱が10トルコリラで、10箱買えば1箱おまけするところも同じらしい。

 時間があるので、車中では、ニハット氏による熱いトルコ紹介が続いていた。トルコは、すでに19世紀から日本とは友好関係にあったとのことで、イスタンブールには日本食レストランも多いらしい。1890年に当時のオスマン帝国の軍艦・エルトゥールル号が和歌山沖で遭難した際、日本人が献身的に救援活動をおこなってから、日本とトルコの友好が急速に深まったそうだ。

 10時になって、エフェソス遺跡にほどなく到着するという頃、おなじみツアーご指定の免税店に行かされる。トルコ名産のレザーの店に立ち寄り、ファッションショーを見せてくれる。ただし、モデルは本職ではなく、大学生のアルバイトだそうだが、さすがみんなすらっと背が高く、訓練を受けているのか、それなりの格好にはなっている。学生たちに混じって、ツアーの同行者の何人かが、無理やりモデルをつとめさせられ、高級なレザージャケットやコートに身を包んで舞台に登場し、さかんに拍手を浴びていた。

 その後、お買い物の時間となるが、広い店内に並べられた品物はどれも値が張っていて、とても手が出せそうな代物ではなかった。トルコの革製品は、薄い山羊の皮が特徴で、ヨーロッパのブランド品にも使用されているらしい。まったく興味のない私には、ひたすら退屈な時間だった。

■図書館と娼館がならんでいた古代都市

 バスは、ようやくエフェソス遺跡に到着する。紀元前11世紀に存在したイオニア人による都市国家の遺跡である。遺跡には、2万4千人が入るという大劇場の跡があって、そこでは、ライオンと囚人のたたかいなどが見せ物として催されたそうだ。ニハット氏の話では、ライオンに勝てば、恩赦を与えられて刑務所から出ることが許され、負ければ、その場で首を切り落とされたそうだ。

 ニハット氏は、「人間は人間同士の戦いを見るのが好きだ。今でも、戦争映画に長い行列ができているではないか」と、解説に付け加えた。その言葉は、アメリカのイラク侵略を批判したのかもしれないが、真意は聞かなかった。大劇場は、音響の良さから今もオペラなどに使われている。

 都市国家のメインストリートには、「図書館」と「娼館」という対立するような2つの建物がならんでいる。娼館への案内図は、文字がわからない人にも理解できるように、足やハートの形で、目的地までの行き方を示すというユニークなものだった。

 優雅な姿をみせてくれる勝利の女神ニケのレリーフの前には、猫がちょこんと座っていた。ニケは英語読みすると「ナイキ」となり、現代においては、運動靴で世界的に有名だ。どこに住み着いているのか、猫が遺跡のあちこちにいて、私たちにくっついてきた。

くっついてきたのは、猫だけでなく、見知らぬカメラマンも写真を撮るために私たち一行のあとをつけてきて、勝手に写真を撮るのがうっとうしくて不愉快だった。写真は、ただちにプリントして、遺跡の出口で客に売りつけることが目的だ。

 ゆっくり見れば2時間はかかる遺跡を大急ぎで回り、12時過ぎからレストランで昼食となった。トルコ名物のシシカバブという串焼き肉が4本、焼いて四角に切ったマッシュポテトやトマトスープに、なぜか油で炒めてあるライスがついている。デザートの焼きプリンを大急ぎで食べて、次の目的地であるペルガモンへむかう。移動の合間に観光をする今日は、とにかく忙しいのである。

■円高でもやっぱり買わなかったトルコ石

 途中、エーゲ海が見える道路に出る。エーゲ海と聞いて、ようやくヨーロッパまで来たという実感がわく。ペルガモンに着く頃に小雨が降り出し、傘をさしての遺跡巡りとなった。ペルガモン遺跡は、紀元前281年に築かれたとされる。ここにも大劇場があるが、客席は、甲子園のアルプススタンドを思わせるような急傾斜になっており、下から上まで上るのは大変だった。

 大劇場を登り切ってしばらくすると、貯水槽の跡があり、その真ん中に小さな石の台があって、コインを投げて台の上に乗れば、願いごとがかなうそうだ。運試しにやってみたら、コインは台の上で一度はねて、深い貯水槽の底へと落ちていった。台の上にはそんなにコインは乗っておらず、これは相当無理だろうと高をくくっていたら、私のあとで投げたツアーの中の1人のコインは、見事に台の上に乗った。

 約1時間かけて遺跡を回ったあと、本日2回目のお約束、免税店へのご招待となった。今度は、レザーよりもご縁のないトルコ石で、またまた退屈な時間となった。みんなトルコに来た以上、本場のトルコ石の一つでもと考えていたようで、店員たちと熱心に値段の相談をしているツアーの人たちを尻目に、私が店の片隅のソファーにずっと座っていたら、日本語の上手な女性店員から、「何を考えているの?」と聞かれて、「ここから早く出ることだ」と応えた。

 妻は、200ドルの値札がついていたアクセサリーを、店員と交渉して12万円まで値切らせたが、もう一声とばかり、両手を示して「10万円」とジェスチャーしたら、店員はあまりにもあっさりと断ったので、やめたそうだ。買わなくて後悔するよりも、買った方が後悔しそうだったのでやめたのだと言った。

 ツアーには、何組かの新婚のカップルもいて、ためらいもなく、高価なトルコ石を買いあさっていた。お金に余裕のある年配者が、記念に買い求めるのはわからないではないが、衝動買いにも見える若い人たちの行動は、私には理解できなかったのである。

バスは、7時前にアイワルクの「ハリッチ・パークホテル」に到着した。エーゲ海が見えるそのホテルで、とんでもない騒動が起きるのだった。

←前日(1月1日)にもどる       翌日(1月3日)にすすむ→

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。


9 × = 六十 三