アルハンブラ宮殿

1月2日 グラナダ~ミハス~バルセロナ

アルハンブラ2 朝8時前にホテルを出る。今回のツアーでは一番早い出発だ。アルハンブラ宮殿に到着すると、吐く息が白くなるほど寒かった。天気は快晴で、すがすがしい朝だ。
「ロスバケ」してしまった3人家族は、ようやくスーツケースが見つかり、グラナダのホテルに全員の荷物が到着していた。この日の朝は、3人ともさっそく新しい洋服に着替えており、少しだけ身ぎれいになったように見えた。旅行中には見つからないだろうとすでにあきらめかけていた荷物が戻ってきたのは幸運だった。アルハンブラでのガイドは、マチコさんという名前の日本人の女性だ。そして、お決まりのスペイン人ガイドも同行する。

■イスラム教最後の王朝、無血開城したアルハンブラ宮殿

 アルハンブラ1 「赤い丘」の上に建てられたアルハンブラ宮殿は、中世のイスラム建築を代表する華麗な宮殿である。13世紀に栄えたイスラム教のナスル王朝が宮殿の拡張をすすめたが、レコンキスタによってイスラム王朝に終止符が打たれ、アルハンブラ宮殿は、1492年1月2日、つまり618年前のちょうど今日、無血開城されたのだった。こうした歴史から、宮殿は、イベリア半島最後のイスラム王朝の栄華を今も世界の人々に伝えている。

アルハンブラ4  84年にユネスコの世界遺産に登録され、全世界からたくさんの観光客が訪れることもあり、宮殿を保護するため、スペイン政府は、30分に300人だけが入場できるという規制を設けている。事前に予約すれば、指定時間に入場できる。当日券もあるが、私たちが到着した早朝でも、当日券の窓口にはすでに長い行列ができていた。

アルハンブラ3  宮殿の壁は漆喰でできており、人の手が届く部分はタイルがはめ込まれていた。「太子の間」の天井は、寄せ木細工のようになっていた。この部屋で、ナスル王とコロンブスが話し合ったそうだ。コロンブスがアメリカ大陸を発見した1492年に無血開城が重なるのも不思議な偶然である。

獅子・修復中  12頭の獅子に支えられた噴水、「獅子のパティオ」は、残念ながら修復中で見ることはできなかった。事前に見たガイドブックには09年からの公開再開と記されていたが、あとしばらくかかるようだ。王家の夏の別荘として使われていた「ヘネラリフェ」は、1319年に建造され、今でも噴水が優雅な水音をたてていた。庭園は手入れがゆきとどいていて、あらゆるところに草花が整然と植えられていた。季節が良ければ、たくさんの花が咲き乱れていただろうと想像した。見晴らしのきく高台からは、ナスル王朝最後の都、グラナダの街並みが良く見えた。

アルハンブラ6  噴水があちこちにあって、シェラネバダ山脈からの雪解け水が尽きることなくあふれ出している。おそらく宮殿は夏でも涼しく快適だっただろう。広大な宮殿を駆け足で見て回り、10時すぎに外に出てきた。すでに日は昇って、降り注ぐ日差しがあたたかい。出口近くのみやげ物屋が外国人観光客らでごった返していた。

■白壁の美しい観光地ミハスでジブラルタル海峡をのぞむ

 ミハス街角アルハンブラ宮殿を後にして、バスで次の観光地ミハスにむかう。約150キロの距離がある。天気が良かったのはつかの間で、途中、霧が出てきて視界が悪くなる。12時にミハスに到着する。食事をして2時半に出発することが伝えられ、それまでは自由行動になる。ミハスにはとくに名所旧跡があるわけでもなく、アンダルシア地方らしい白壁がつづく街の雰囲気を楽しむことが観光となる。

 ミハスの地図天気が回復して、あたたかい日差しが昼食をとったレストランにも差し込んでいた。ミハスは観光の街で、みやげ物屋とレストランしかない。スペインで最小の闘牛場はあるが、冬にはオープンされていない。ゆっくりと一巡りしたいのなら、「ロバのタクシー」が最適だ。私たちは、昼食後、展望台にまで上がってジブラルタル海峡をながめてみた。海峡の沿岸は保養地になっているそうで、冬でもあたたかいという。白い建物が所狭しと並んでいた。海峡の対岸はアフリカ大陸のモロッコであり、距離はわずか16㎞しかない。モロッコが見える日もあるらしいが、この日はかすんでいて見えなかった。

 ミハスを出て、15時すぎにマラガ空港に到着する。空路で終着点のバルセロナにむかうこととなっていた。空港ではさんざん待たされて、チェックインを終えて待合室にたどり着いたのは16時をとうに過ぎていた。マラガはピカソ生誕の地でもあり、マラガ空港も別名「ピカソ空港」と呼ばれている。ミハス・ジブラルタル海峡

 国内線は重量チェックが厳しく、20㎏を超過すれば1㎏ごとに約5千円を取られる。添乗員の太田さんからは、チェックインの際にスーツケースが20㎏を超えても、決して声を上げることなく知らんぷりしておけとアドバイスされる。妻は、いざというときは追加料金を払えばいいのだと開き直っていたが、おみやげでそうとう重さが増していたスーツケースは19.5㎏でデジタル計が止まり、ぎりぎりセーフだった。

 満席の機内は、荷物棚のロッカーも満杯状態で、私たちの手荷物を入れられるスペースはどこにもなかった。搭乗口で早くから長い行列ができていたのは、たくさんの手荷物の収納場所を確保したいスペイン人たちが、まっ先に並んでいたからだった。

 出発が30分遅れて、バルセロナ空港には18時半に到着した。ここでも、あいかわらずスーツケースが出てくるのが遅い。のんびりしたスペインのペースに閉口し、時間をもてあます。スペイン第2の都市、バルセロナの空港はさすがに大きく、6か月前にリニューアルオープンしたばかりの空港には、各地から帰ってきた人たちでいっぱいだった。空港を出たのは19時前だったが、すでに真っ暗闇でバスから見える夜景がきれいだった。観光は明日1日を残すだけとなった。

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