セビリア

1月1日 セビリア~グラナダ

 新しい年はセビリアで迎えた。朝起きてテレビをつけたら、CNNで世界の正月の風景を伝えていた。わが日本は、知恩院の鐘撞きのシーンが映し出されていた。スペインとの時差は8時間あり、日本はすでに元旦の夕方近くになっているはずだった。

■クリスマスムードがつづく元旦の街を歩く

セビリア駅

 日本の年越しそばのように、スペインでは年越しに12粒のブドウを食べる習慣がある。何かを祈るというわけでもなく、ただ昔からそうなっているのだそうだ。実は、添乗員の太田さんから、12時前にホテルのフロントに行けば、宿泊客にブドウが振る舞われると聞いていたのだが、結局、フラメンコショーから帰ってきたその後、ツアー客のなかでブドウを取りに行った人は誰もいなかったそうだ。

 私たちもふくめて、みんなホテルに着いたらすぐに寝てしまったらしい。連日の強行軍の疲れもあり、妻もショーの間は意識がもうろうとしていたと話した。そんな疲れが出るタイミングを見はからって、この日の10時集合というゆったりとしたスケジュールはありがたかった。

セビリアの街角1  時間があったので、朝食後に2人でホテル近くのセビリア駅まで出かけてみた。スペイン高速鉄道AVEの終点となるセビリア駅はとても大きな駅で、正月も朝早くからカフェやみやげ物屋が店を開けていた。さすがに客はまばらだが、朝まで飲み明かしていた若者たちが、赤いサンタ帽をかぶってうろついていた。

 国民の9割がキリスト教徒という敬虔なカトリックの国のスペインでは、12月25日でクリスマスは終わらない。「東方の三賢者」が訪れた1月6日までお祝いはつづくのである。正月もクリスマスのまっただ中にあり、元旦にサンタ帽をかぶれば日本では変な人になってしまうが、スペインでは当たり前なのだった。

セビリアスペイン広場2 教会では元旦にミサがおこなわれ、商店街では店員たちもサンタクロースの格好をして客を迎えるのだった。大晦日から元旦にかけてパーティーがつづき、爆竹を鳴らして新年を迎えるそうだ。セビリア市内の観光中も、しばしば酔っ払ったお兄さん、お姉さんたちと出くわしたりした。

 定刻の10時に集合すると、セビリアに住む下山さんという日本人女性のガイドがすでにロビーに到着していた。ここでも、規則にのっとってスペイン人「ガイド」が1人つくこととなる。

■博覧会会場だったセビリアのスペイン広場

 セビリアの人口は70万人で、国内ではマドリッド、バルセロナ、バレンシアについで4番目に大きな都市だ。エコロジーに心がけているそうで、年間10ユーロを出せば、市が配置した自転車を自由に使えるシステムがある。2年前には自転車専用道路もできたそうだ。前年の4月から地下鉄が完成し、通勤ラッシュもずいぶん緩和されたことなど、最近のセビリア事情を下山さんが話してくれた。

セビリアスペイン広場3  また、セビリアでは、最近、トム・クルーズとキャメロン・ディアスが主演する「ナイト&デイ」のロケがあったそうで、トム・クルーズは、セビリアの市街地を牛の群れとともにバイクで疾走した。セビリアでの撮影は約1か月にわたったという。

 バスの窓外にはオレンジの街路樹の歩道がつづいていた。これらは、観賞用のオレンジだそうで、食べても苦いだけだそうだ。イスラム教の風習らしく、こんなところにも、かつてのイスラム教の影響が色濃く残っているのだった。ちなみに、フラメンコの掛け声の「オレ」も、イスラム教組「アラー」が訛ったものだそうだ。

 はじめに訪れたスペイン広場は、1929年のイベロ・アメリカ博覧会の会場としてつくられた施設である。広場には、歴史上の場面を描いたスペインの各都市のタイル画がずらりと飾られていて、一つ一つを見ていくのがとてもおもしろかった。

彫像 つづいて訪れたピラトスの家は、15世紀後半から16世紀にかけて建築された邸宅で、アンダルシアでは代表的な美しいパティオ(中庭)を持つ構造になっている。ピラトスとは、キリストに死刑を宣告したローマの総督の名前で、壁にその彫像が飾ってあった。

 邸宅の四隅には、ギリシャ神のアテネ、ローマ神話のミューズ、ミネルバとセレスの像が立っている。美しいタイル画が飾られる回廊や、きれいに手入れされている花々には心安らぐものがあった。この邸宅には人は住んでいないが、今でもたまに晩餐会に使われるそうである。

セビリア・ピラタスの家  セビリアというと、オペラ「セビリアの理髪師」が有名だが、ビゼーの「カルメン」もセビリアが舞台で、カルメンが劇中で働いていた王立タバコ工場は、今ではセビリア大学の校舎として使われている。ちなみにスペインでは06年から「禁煙法」が施行され、公的機関や一般オフィス内での喫煙が禁止された。さらに11年からは屋内での全面禁煙、公園、学校、病院などでは屋外でも禁煙となるなど、法律がさらに厳しくなっている。「愛煙家」のみなさんにはつらいが、これは大変良いことだと思う。

■神聖な雰囲気の正月のミサに参加する

セビリアの大聖堂  さて、一行は、バスでアメリカ広場を通って、ちょうど正午にセビリア大聖堂に到着した。バスを降りて、聖堂内を見学する。ただし、ちょうど正月のミサの最中であり、ガイドの下山さんからは、「カトリック教徒のふりをして、こっそりと中に入ってください」と言われ、帽子を脱いで薄暗い教会のなかに忍び込んだ。

 セビリア大聖堂は、ローマのサン・ピエトロ大聖堂、ロンドンのセント・ポール大聖堂につづいて世界第3の規模をほこるキリスト教聖堂で、1402年から約1世紀をかけて建設されたと言われる。正月のミサがつづいているなかで、87年に世界遺産に登録された大聖堂のステンドグラスや、世界的に有名な黄金の主祭壇を近づいて見学することはできなかったことは誠に残念だった。しかし、新年のミサに集まった地元の人たちが、キリストに対して真剣に祈る姿を拝見し、新鮮な感動をおぼえたのだった。

アホスープ  その後、みやげ物屋を回り、昼食のレストランに入った。狭い室内には、鹿やイノシシ、牛の頭の剥製が所狭しと店に飾ってある。これらが、ここで出される料理とどんな関係にあるのかは、最後までわからなかった。

 出てきたのは、ソバ・デ・アホという地元の料理で、アホとはニンニクのことだ。スープの中にはパンが入っており、まん中に生玉子が浮かんでいる。これでもボリュームたっぷりなのに、それに加えて丸々太ったニワトリの足のあんかけのような料理がでてきて、とても全部食べきれなかった。

アホスープ2 ガイドの下山さんとはここでお別れとなり、昼食後はふたたびバスに乗り込み、次の目的地であるグラナダへとむかった。セビリアからは245㎞の距離があり、またもや田園風景に囲まれた高速道路をひたすら走る旅となった。道路の両側には、オリーブやブドウ畑がひろがっていた。夏は食用のひまわりも植えられるそうだ。雪をかぶったシェラネバダ山脈がだんだんと近づいてきた。

 夕方の5時をすぎた頃、バスはようやくグラナダの街に入った。それから約30分でホテルに到着する。夕食までにはまだ時間があり、明日は朝早くからアルハンブラ宮殿の見学となり、市内を観光することはできないので、寸暇を惜しんで2人でグラナダの街を散策してみることにした。

■キリストの生誕を描いたジオラマに感動

 グラナダの中心部には大聖堂があり、繁華街はイルミネーションで輝き、ジングルベルの歌が流れていた。正月にジングルベルは不思議な感じがしたが、スペインはクリスマスのまっただ中なのである。たくさんの人で歩道はあふれかえっており、大人も子どもも、老人も若者も、道行く人はだれもが楽しそうだった。

ジオラマ  歩いて行くと小さな小屋があり、入口に行列ができていた。興味をそそられて行列に並んで、小屋の中に入ってみると、キリストの生誕を描いたジオラマが飾られていた。20メートルほどの細長いジオラマのちょうど真ん中あたりに、馬小屋でイエス・キリストが生まれたシーンあった。マリア様に抱かれたキリストのそばには、「東方の三賢者」が贈り物を手にして近づいてきていた。背景の景色や、人間、動物、建物などすべてが驚くほど精巧に作られていて、誰がつくったのか知らないが、これだけのものを無料で公開していることにもびっくりした。

ピエタ  少しいくと大聖堂についた。入口の上には、処刑されて息途絶えたキリストを、悲しみに暮れるマリア様が膝に抱きかかえた「ピエタ」の像が飾られていた。大聖堂はとても立派なゴシック様式の建物で、建設には2世紀もかかったという。
 ドアを開けて中に入ると、ここでも正月のミサの最中だった。またもや、「偽カトリック教徒」の私たちは、地元の人たちの間に割り込んで教会の中を静かにながめた。天井は高く、壁には細かな彫刻がほどこされ、教会全体が美術品のようだった。

 ミサはおごそかで、キリスト教徒でないものには近寄りがたい神聖さを感じた。老若男女が椅子に腰掛け、やがて一人一人が次々と祭壇にむかっていった。キリストに対して祈りをささげるのだろう。新年のクリスマスにかかせない大切な儀式のようだった。

 大聖堂の隣ではバザーが開かれていて、のぞいてみると、皿やコーヒーカップ、今や使われなくなった35ミリフィルムカメラなど、いわゆる「不用品」が所狭しと置かれていて、フリーマーケットのようだった。中には日本製の陶器でできたトックリとお猪口まであった。手作りの小さな人形、ペンダントネックレスなど、ありとあらゆる品物が売りに出されていた。売り上げはすべて教会に寄附されるのだろう。バザーは、クリスマスの終わる前日の1月5日まで続けるらしい。それまでの期間中、毎晩夜10時までやっていると入り口に書いてあった。スペインの夜は長いのである。

 わずかな時間だったが、いろいろと楽しめたグラナダの夜だった。ホテルに帰って夕食を食べ、早めにベッドに入り、翌日の世界遺産・アルハンブラ宮殿の観光にそなえた。

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