9月3日(木)ヴェネチア観光

 この日は、8時20分にホテルを出る予定となっていて、それまで時間があったので、リド島のホテル付近を散策する。ほとんど車も通らず、人の姿も見えないとても静かな街だ。たぶん、ヴェネチア映画祭が始まれば、この島も年に一度のにぎやかさにつつまれるのかもしれない。

●「溜息の橋」を手をつないで渡る

 車どころか自転車さえ禁止されているヴェネチアには、大型バスなど無用であり、リドの港からは、水上タクシーに分乗して市街地へとむかう。海上からのヴェネチアの風景を楽しんでいたが、水上タクシーは、約10分ほどであっけなくサンマルコ広場近くの港に到着した。
 今日は、1日かけてヴェネチア観光となる。まずはじめに、ドゥカーレ宮殿を見学し、その次にサンマルコ寺院にむかう。
 ヴェネチアのガイドは、早乙女さんという女性だった。それにイタリアの規則にしたがって、イタリア人の「ローカルガイド」が1人付き、さらに、日本人の現地スタッフも1名が随行するというにぎやかな観光になった。
 ドゥカーレ宮殿から牢獄につながる橋は、「溜息の橋」と呼ばれており、死刑を宣告された囚人が、2度ともどってこられない橋を溜息をもらしながら渡ったことから由来する。
 この橋にはある言い伝えがあって、夫婦が手をつないで渡ると、「死んでも離れなくなる」のだそうである。早乙女さんは、男性たちに「死刑よりも怖いでしょう?」と聞くので、私が、思わず、「こわー!」と言ったら、みんなから爆笑されてしまった。もちろん、妻とは、仲良く手をつないで渡ったが、後ろのご夫婦は、旦那さんが先に渡ってしまい、「あら、お父ちゃんどこに行ったの?」などというかん高い声が聞こえてきて、これまた爆笑だった。
 サンマルコ寺院は、金のモザイクの装飾こそ施されていたが、これまで見てきた教会とくらべて、何となく地味な印象をうけた。サンマルコ広場は、人と無数のハトでいっぱいで、まるでお祭りのようにごった返していた。たくさんのハトに寄ってこられ、思わす泣き出してしまった小さな女の子がいた。
 ツアーの一行は、ヴェネチアンガラスの工場兼直売店で、ガラスづくりの見学とショッピングの自由時間となったが、私たちはそこを抜け出して、ガイドブックで目を付けていた「ムラノ・アート・ショップ」という人形店へとむかった。場所の見当をつけていたので店はすぐに見つかった。小さな店の中には、所狭しとさまざまな形や大きさの人形が置いてあって、そのどれもが特徴的で、そして、少しだけ高価だ。「かわいい!」を連発して、いささか興奮気味な妻は、時間をかけて人形を選び、さんざん迷ってかわいらしい赤ん坊の人形を、姉へのみやげとあわせて2体購入した。

●世界から人が集まる国境のない街ヴェネチア

 12時にふたたび集合して、昼食のレストランへむかう。楽しみにしていたイカスミのスパゲティは、オリーブオイルがたっぷりで、スパゲティの芯まで真っ黒に染まっていた。食べると、歯や舌までもが真っ黒になった。とてもおいしい。
 スパゲティとあわせて、イカのリング揚げとえびの唐揚げ、それとサラダがついており、最後は、アイスクリームが出てきた。これらをビールと赤ワインでいただくと、とってもいい気分になる。
 午後からは、自由行動となった。狭い路地と運河が四方八方に張り巡らさているヴェネチアでの交通手段は水上バスとゴンドラしかなく、あとはひたすら自分の足で路地を歩くだけである。そしてその路地の両側に無数の土産物屋やレストラン、カフェ、魚屋や八百屋などがひしめきあっていて、巨大な「アメ横」という雰囲気があった。
 街自体は広くはなく、地図をもって歩けば、自分の行きたいところにきちんと行くことができるし、サンマルコ広場への道順をしらせる矢印がいたるところに掲げてあって、道に迷うこともない。だから、ツアーに半日もの自由時間を設けることもうなずける。ここでは、ぞろぞろ団体で歩くよりも自由に歩き回った方が楽しいのである。
 運河にかかる「リアルト橋」の上には、店がずらりと並んでいて、そのうちの1軒でおみやげのバッグを買った。どこに行っても、人、人、人、また、人で、街角は観光客で溢れかえっていて、歩くだけで疲れてしまうのだが、何か別世界に来たような不思議な気分になり、それが何とも心地よく、人波をすり抜けていく間に、名前どころか生まれた国も知らない人たちとの間に不思議な一体感が生まれてくるのである。
 そう言えば、サンマルコ広場では、写真を撮っていた外人の旅行者の老夫婦から、シャッターを押すよう頼まれた。快く応じると、こんどは、彼らが手を差し出して、カメラを渡せと言う。サンマルコ寺院をバックにして、二人並んだ写真を撮ってもらった。ヴェネチアには国境などなく、ここに来た人たちは誰でも、この街に同化してしまうのだと実感した。そんな街だからこそ、何度も訪れるリピーターが大勢いるのも納得だ。

●お決まりのゴンドラに乗り、お決まりの「サンタルチア」

 本当は、夜まで自由行動だったのだが、ガイドの早乙女さんの提案で、希望する人には、ゴンドラを手配してもらえることになった。当然ながら、全員が希望したので、15時にサンマルコ広場にふたたび集合して、ヴェネチア名物のゴンドラに6人ずつに分かれて乗り込む。私たちの舟には、もう一組の夫婦と、カンツォーネの歌手とアコーディオン弾きが乗ってきた。「新婚夫婦」への特別サービスだ。
 歌い手は、金髪のハンサムで、どこか、往路の飛行機の中で見た「タイタニック」のレオナルド・ディカプリオに似ていて、どこの舟からか、「レオナルド!」の声がかかる。彼も、まんざらではなさそうだ。披露してくれた曲は、おなじみの「サンタルチア」など数曲で、歌がない間も、アコーディオンは休まずにずっと演奏を続けてくれた。
 約40分のゴンドラの旅だったが、巧みに竿を操り、家と家との間にある狭い運河をすり抜けていく技術はすばらしく、とてもおもしろく、楽しいひとときとなった。運河を行けば、家々の窓の外には洗濯物が干されていたり、はたまた、川に流れ込む排水や、そこから漂う下水臭に、路地を歩いていただけではわからなかったヴェネチアの人々の生活をかいま見ることができた。街にはあんなに人が溢れていたのに、こうして裏に回ると、あたりはひっそりとしていた。もう一つのヴェネチアの姿である。
 さて、「レオナルド」とはお別れして、ふたたび自由行動となり、ふたたびサンマルコ広場に戻ってきた。広場には、オープンカフェの店がたくさん出ていて、この場所で「旅情」のキャサリン・ヘップバーンを真似るのが夢だったという妻に誘われて、私たちは、椅子に座って、カプチーノを味わった。
 カフェでしばし休憩し、こんどは、サンマルコ寺院の鐘楼へエレベーターで上がる。入口で8千リラを払う。
 鐘楼の上からのながめは絶景で、思わず感嘆の声が出る。市街地の赤茶けたレンガは、古い街の歴史を物語っていたし、上からながめるサンマルコ寺院も、また素晴らしい。妻は、その風景を絵手紙にして残そうと、一生懸命に絵筆をふるった。

●スピード違反で停止を命じられた水上タクシー

 しばし、うっとりとしたあと、下に降りて、今度は、「ヴァポレット」と呼ばれる水上バスに乗って、リアルト橋まで行く。歩いても行けるのだが、何ごとも経験である。
 船着き場で待っていると、目当ての船が来る。入口のゲートが開くやいなや、人波に押されて船に乗り込んだ。船上は、たくさんの人々でひしめき合っている。クルージングのように、椅子に座ってゆっくりと景色を楽しめると想像していたのだが、途中の船着き場からさらに人が乗ってきて、まさに押し合いへし合いの満員電車ならぬ満員ヴァポレットとなった。
 リアルト橋までの予定が、途中でサンタマリア・デラ・サルーテ教会が見えたので、思わず途中下船する。教会の中を見学した後、ふたたび水上バスに乗り、リアルト橋の一つ手前の船着き場で降り、サンポロ広場で買い物しながら、夕食のレストランを探すことにした。
 サンポロ広場のすぐ近くでテントを張っている店のメニューを見て、手頃そうなので入る。ワインが付いて約2万リラというコース料理を2人分頼み、ビールとワインを追加注文したが、それでも2人あわせて6万リラもせず、飛び込みにしては、なかなかいい店を見つけたと2人とも満足する。
 アルコールがほどよく効いて、ほろ酔い気分でサンマルコ広場の集合場所にむかう。約束の8時30分まではまだ5分ほど時間はあったが、すでにほとんどの人が集まっていた。来るときと同様に水上タクシーでリドへむかった。
 水上タクシーの中では、一日の思い出話に花が咲いたが、突然、それまでビュンビュンと飛ばしていた船が急停止した。なんと、「水上パトカー」に、スピード違反で停止を命じられたらしい。日本ではとても理解できないハプニングはあったが、無事、9時前にリドの港に到着した。
 いったい今日は、何人の人と会っただろうか、そして、何カ国の人の顔を見たのだろうか。ホテルに帰ってからも、興奮はいつまでも冷めなかったが、歩き回った疲れとワインの酔いも手伝って、ベッドに入ると、すぐに眠り込んでしまった。

9月4日(金)ヴェネチア〜ヴェローナ〜ミラノ市内観光

 5時45分にモーニングコールが響き渡った。今日は、「イタ急」ツアーの中でも、一番の早立ちだ。6時30分にスーツケースをガラガラと引っ張ってバスまで運ぶ。ホテルには朝食の支度はなく、一人一人が「ボックス」と言われる軽食の入った弁当をもらう。「ボックス」の中身は、クロワッサンにビスケットのような食べ物がいくつかと、それにチーズとジュースが付いているだけの粗末なものだったが、それを大事に手に持ってフェリーに乗り込むこととなる。
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