9月4日(金)ヴェネチア〜ヴェローナ〜ミラノ市内観光

 5時45分にモーニングコールが響き渡った。今日は、「イタ急」ツアーの中でも、一番の早立ちだ。6時30分にスーツケースをガラガラと引っ張ってバスまで運ぶ。ホテルには朝食の支度はなく、一人一人が「ボックス」と言われる軽食の入った弁当をもらう。「ボックス」の中身は、クロワッサンにビスケットのような食べ物がいくつかと、それにチーズとジュースが付いているだけの粗末なものだったが、それを大事に手に持ってフェリーに乗り込むこととなる。

●つるつるに光っていたジュリエットのバスト

 昨日、体調不良だと言って、ヴェネチア市内観光をキャンセルした若い女性の二人組が、心配そうな顔をして立っていた。訊くと、ホテルの部屋にジャンパーを忘れてきたそうで、タクシーで引き返しても、すでにフェリーの出発に間に合いそうもない。機転を効かせた添乗員の笠原さんがホテルに連絡を入れ、従業員の男性が車を飛ばしてジャンパーを届けてもらったときは、すでに出発の数分前だった。彼女らは、集合時間にもよく遅れて来たりで、いろいろと心配さえてくれる娘たちである
 定刻の7時30分に出発したフェリーの売店で暖かいカプチーノを買って、ようやく朝食となる。フェリーはほどなく港に到着した。あこがれの水の都ともこれでお別れである。ヴェネチアだけはもう一度訪れたい。
 今日の到着地であるミラノへとむかう途中、バスは、ヴェローナに立ち寄って、つかの間の観光を楽しむ。ヴェローナも、ヴェニスと同じようにレンガ造りの古い町並みが続いていた。市街地の中心にあるエルベ広場には、高さ84メートルのランベルティの塔が立っている。12世紀に建設された市庁舎に付随する塔で、ヴェローナの象徴となっている。
 4千リラを出して、エレベーターで塔のてっぺんまで上がった。テラスに出てみると、ヴェローナの素晴らしい風景がひろがっていた。イタリア人らしい子ども連れの男性に頼んで、街の風景をバックにした写真を撮ってもらった。そのお礼に、妻が、日本から持ってきた浮世絵のカードを手渡すと、とても喜んでくれて、こちらも嬉しくなった。外国に来たとき、こうした心のふれ合いは、何とも楽しいものである。
 名作「ロミオとジュリエット」は、皇帝派と教皇派に分かれて争っていた14世紀のヴェローナで、悲劇的な死をとげた恋人たちの物語をシェークスピアが脚色劇化したものである。そのモデルとなったジュリエッタの家の中庭には、彼女のブロンズ像が置かれていた。
 この像のバストに触ると早く結婚できるという言い伝えがあるそうで、そこの部分がつるつるになって光っていた。それを聞いたツアーの女性たちは、なぜか既婚者までが、先を争うようにして彼女の胸を触っていた。

●ミラノ名物のリゾットとカツレツに舌鼓

 ふたたび高速道路を走り、13時30分にミラノへ到着する。途中、イタリアに来てから初めての雨に出会ったが、幸運なことに、この頃には、すでに小降りとなり、昼食のレストランに着いたときは、すでに完全に雨は上がっていた。
 昼食は、「モビーディック2」という名前のレストランで、ミラノの名物料理であるリゾットとミラノ風カツレツをいただく。リゾットとは、「欧風おかゆ」とでも言うべきもので、いわゆる「外米」をサフランを使って黄色に着色したものだ。バターの香りが食欲をそそる。ミラノ風カツレツは、牛肉を紙のように薄く引きのばし、それにパン粉をつけてフライしたもので、見た感じは、よく日本の駄菓子屋で売っている「紙カツ」のようである。とんかつソースが欲しいところだが、何もかけずに食べるので、味は少し頼りない。
 飲み物代は、ビールと中サイズのハウスワインをあわせて、1万2千リラ程度で、とてもお手頃な値段の店だ。ただ、このレストランは、やたらと料理が出てくるスピードが速く、さらに、食べ終わればすぐにウエーターがやってきて、さっさと皿を持って行かれてしまうので、落ち着いて味わっている暇がなかった。
 私たちも、店のペースにあわせて大急ぎで食べなければならず、えらくせわしなかった。おかげで、1時間ほどでデザートとなり、時間を持てあますほどだった。
 3時少し前にイタリア人の女性のガイドが到着する。バスに乗って連れて行かれたのは、お決まりの日本人団体客専用の免税店だった。客も日本人だけなら、店員もほとんどが日本人だ。ブランドの街ミラノでは、私たちにとってはとくに買うものもなく、並べられた商品もとても高価なものばかりで、ここでも時間を持てあまし、店のなかをぶらぶらしていた。

●スカラ座からドゥオモまでのハイライトコースを歩く

 退屈な時間が終わると、ミラノの市内観光にむかう。はじめに訪れたのはスカラ座で、劇場のなかを見学する。天井まで升席が配置されており、世界の名だたるオペラ歌手たちが美声を競い合ってきた劇場の内部は、建造から220年以上を経た長い歴史を感じさせる見事な造りである。舞台も驚くほどに広い。その舞台では、ちょうどバレエの練習がおこなわれていた。8日からが本番らしく、気合いが入っていた。
 スカラ座博物館では、劇場ゆかりのマリア・カラスの遺品などが展示されていたが、入口のロビーを改造したような施設で、「博物館」と言うには、あまりにも狭くて粗末な感じがした。マリア・カラスなど名前しか聞いたことがなく、スカラ座との関係もよくわからなかったが、記念にそこで売られていたカラスのCDを購入した。
 スカラ座を出て、建物をあらためて正面からながめてみると、ひどくみすぼらしく見えた。誰もがこれがあの「スカラ座」なのかと思うらしく、内部の豪華さとの落差が激しい。
 スカラ座からアーケード街を通り、ドゥオモへむかう。アーケード街とは、「ガレリア」の名で知られており、1867年にイタリア統一を記念してつくられた歴史的建造物である。第2次世界大戦の時に戦災にあったが、その後、もとの姿に完全に復元されたという。スカラ座から「ガレリア」を通りドゥオモへむかうコースがミラノ観光のハイライトであり、そして、ドゥオモの前に出てくると、誰もがその世界一のゴシック建築に感嘆の声を上げるというが、たしかに輝くように堂々とした姿を現す寺院に、私たちも思わずカメラのシャッターを切っていた。
 ドゥオモの建設は、14世紀後半に着工され、16世紀に完成したという。教会のなかへ入ると、ちょうど12人の修道女の終業式が開かれていて、幸運にも、おごそかで晴れやかなシーンを拝見させてもらうことができた。ひときわ美しいステンドグラスや壁画などを一通り見学し、名残はあったが表に出た。
 その後は、自由行動となり、それぞれがミラノの街へショッピングに出かける。私たちは、ドゥオモの近くにあるデパートに入り、地下の食品売り場で本場のスパゲティを買ったり、たくさんの鳩が集まっているドゥオモの前の広場をぶらぶらして時間をつぶし、集合場所へむかった。

●イタリア最後の夕食に出てきた「スパゲティ・ナポリタン」?

 再び集合したツアーの人たちは、驚いたことに、みんな一様に大きな紙袋を下げていた。その紙袋には、「グッチ」や「プラダ」など、日本でおなじみのブランド名が大きく描かれていた。ツアーもいよいよ最終日が近づくと、買い物にも根性が入るのだろうか。私たちも、同じように紙袋を手にしていたが、その中身は、スパゲティとオリーブオイルなのであった。
 みんなそろったところで夕食のレストランへむかう。レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」があるミラノで、私たちも、まさしく最後の晩餐を楽しむこととなった。今夜のメニューは、スパゲティ「ナポリタン」と骨付きの肉、ポテトなどであり、とてもボリュームがあって、妻は、食べきれない部分を私に回してきた。
 ところで、イタリアには、「ナポリタン」などというスパゲティ料理はなく、日本人がつくり出したものだ。だから、たぶん、ここで食べている料理は、本当は、ナポリタンとは似て非なるものだと思うが、味や見た目はまさしく日本で食べる「ナポリタン」なのである。
 ビールと赤ワインが料理にとてもマッチしていて、デザートに出てきたパンナコッタも美味しく、これは、みんなから好評を得ていた。大急ぎで食べた昼食とは違って、ここのレストランは、えらくスローペースで出てきて、食事を終えたのは9時を過ぎていた。もっとも、ヨーロッパのレストランでは、3時間、4時間かけて料理を楽しむのが当たり前だと言うから、これでも日本のツアー観光客向きに速く出しているのではないかと笠原さんは言う。
 10時にホテルに戻り、11時30分にベッドに入る。夜になって雨が降り出してきた。

9月5日(土)ミラノ〜帰国

 雨は朝になっても上がらなかった。6時のモーニングコールで目を覚まし、カーテンを開けて空を見る。気がつかなかったが、ホテルの前の通りでは、すでに朝市の準備が始まっていた。
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