1月4日

トプカプ宮殿、ブルーモスク~イスタンブール観光を楽しむ

 朝から雨が降り続いていた。出発は9時なので、少し早めに朝食を済ませて、1時間ほどホテルのまわりを散歩することにした。道を少し下っていくと、ボスポラス海峡に出た。海岸沿いの道をあるくと、ドルマバフチェ宮殿の前に出た。1840年代につくられた大理石の豪華な宮殿だが、残念ながら、今回のツアーでは見学コースに入っていない。

 時間があれば中に入ってみたかったが、開門は9時からであり、門に近づいていくと、守衛らしき男性が「あっちへ行け」というふうに手を振った。仕方がないので、門の前で写真だけ撮ってホテルへと引き返した。ホテルのすぐそばにセブンイレブンがあって、水と傘を買った。店員が4、5人いて、みんなやたら明るく賑やかに私たちを迎えてくれた。

■ブルーモスクでトルコの女子高生たちに囲まれる

 9時にロビーに集合して、市内観光に向かう。雨がときおり強くなる中、はじめに、ブルーモスクを訪問した。46メートルの高さの天井を持つ礼拝堂には、2千人以上の人が入るそうで、多いときには5千人から7千人もの人たちが礼拝に来るそうだ。天井を支える4本の柱がゾウの足のようで、直径は最大で5メートルもあるという。天井からは、人類最古といわれているシャンデリアが下がっていた。

 ニハットの解説を聞きながら見学していると、高校生くらいの女の子の集団が近づいてきた。英語で聞いてみると、「アートスクール」に行っているそうだ。日本で言えば美術学校といったところか。ハウオールドアーユー?と聞くと、しばらくしてから、一人の子が「セブンティーン」と答え、すぐに、「フィフティーン!」と訂正した。どうやら英語はあまり得意ではなさそうだ。世界に名だたる観光地で日本人が珍しいわけもないだろうが、彼女たちは妻にワッと近づいてきて、写真の取り合いをしたりして、和やかな国際交流となった。

 モスクを出て、地下宮殿に行く。宮殿などと言っても、実際は6世紀に作られた地下貯水池のことであり、立ち並ぶ円柱の土台には、ギリシャ神話に出てくる怪物メドゥーサの巨大な首の彫刻が2つ使われていて、一つは首が横を向いており、もう一つは逆さまに置いてある。逆さまの首は、あごを触ると願いがかなうとニハット氏に言われ、妻は一生懸命にあごをなでていた。貯水池にはコイが泳いでいた。円柱には、珍しい文様のものがあり、「涙目の円柱」と呼ばれているそうだ。

■あらゆる財宝を集め、贅を尽くしたトプカプ宮殿

 次にアヤソフィアを訪れる。ビザンチン建築のギリシャ正教の教会としては世界最大の寺院だそうだ。56メートルの天井には、真ん中あたりに足場が築かれていて、修復工事の最中だった。6世紀の半ばにのべ1万人の労働者によって作られたそうだ。

 人間が作った建造物としては、万里の長城、プラミッドに次ぐ3番目の大きさだとニハットは言った。はじめはギリシャ正教の教会だったものが、15世紀から20世紀半ば頃まではモスクとして使われ、今は博物館になっている。キリスト教とイスラム教が混在するトルコならではの建物だ。

 2020年7月、エルドアン大統領はアヤソフィアをモスクとする大統領令に署名し、これによって、アヤソフィアは博物館からふたたびイスラム教会へと戻ることになる。

 2階には女王が座る椅子が置いてある。1階から2階まではスロープになっていて、女王を乗せたかごが運ばれたという。女王の椅子は、緑色の大きな大理石でできていた。壁にはキリストやヨハネの姿がモザイク画で描かれていた。

 正午を少し回る頃、トプカプ宮殿の見学にむかう。門をくぐると、左にレンが造りの教会が建っていた。大理石の道の左右には花壇がならんでいた。2つめの門の入り口で入場券を渡して、セキュリティチェックをうける。

 王様のハーレムには、洗濯台や風呂の跡があり、ニハット氏によれば、ここのハーレムは、一般の女性にレベルの高い生活を教える学校としての意味を持っていたらしく、国民の教養水準のレベルアップにも寄与していたそうだ。

 宝物の展示場がいくつもあって、無数の宝石などの装飾品が置かれていた。その中に「黄金のゆりかご」という門外不出の財宝が展示されていた。決して国外には持ち出したことはなかったが、日本の天皇家に男の子がはじめて生まれた2008年に、そのお祝いとしてトルコの観光省が初めて日本に運んだのだという。トルコと日本がいかに親密な関係なのかがその出来事からもよくわかる。

■自由行動で悪質タクシー運転手につかまる

 14時前に市内観光が一通り終了し、「ottimo」という名のレストランでケバブ料理をいただく。その後は自由行動となり、3台のタクシーに分乗してカーリエ博物館にむかった。タクシーを降りる際に約5リラを払い、カーリエ博物館を探しながら到着すると、小さな建物の中にモザイク画が描かれいるだけで、あっけなく見学は終わってしまった。

 博物館を出ると、一人でツアーに参加していた女性に声をかけて、3人でシルケジ駅まで行くことにした。アガサクリスティのオリエント急行の出発する駅だ。ふたたびタクシーに乗ったが、その運転手が食わせ物で、そんなに遠くもない距離を64リラという法外な金額を要求してきた。不満げな顔をしていると、運転手が大声でまくし立てるので、怖くなり、しぶしぶ50リラを出した。これ以上持っていないと主張すると、仕方がないというような顔をして私たちを解放した。

 トルコの運転手は悪質だとさんざんトルコ人の悪口を言っていたら、妻が、たまたまああいう人に出くわしただけなのだ、トルコの人たちはみんな優しい人たちなのだからというが、やはり、だまされたことは後味が悪かったのである。

 オリエント急行の駅は、意外とひっそりとしていて、人影も少なかった。かのポワロの存在を感じさせるものは何もなく、ただ単に普通の駅でしかなかった。しかたなく、ホームをぶらぶらして、駅を出た。あたりは薄暗くなっており、駅の近くの屋台で焼き栗を売っていたので、一袋買って、若い兄ちゃんの店員と記念写真を撮った。橋を渡ると、おびただしい釣り人が釣り糸を垂らしていた。獲物を見せてもらったら、小さな魚がたくさん釣れていた。

■年季の入ったベリーダンスに圧倒される

 ホテルまで歩いて帰り、少し休憩してベリーダンスのディナーショーに出かける。ツアー最後の夜は、トルコの伝統舞踊を眺めながらの夕食が準備されていた。ディナーショーの舞台には次々とベリーダンスの踊り子が出てきた。エジプトで見たように贅肉がたっぷりの女性こそいなかったが、それでもみんな肉付きのいいスタイルをしていた。お腹を見せる踊りだけに、やはり少しは贅肉がないといけないらしい。それに、ベリーダンスは、かなり体力がいるようで、そのこともあって太めの女性がいいのだろう。

 ベリーダンスの合間に、余興として男性の「腹踊り」が入る。まさに、日本でもよくやっている腹芸であり、でっぷりしたお腹に口や目を書き込んで、へこましたり出したりして表情をつくっている。これがまたおかしくて、こちらも腹を抱えて笑ってしまった。

 最後は、かなりベテランのダンサーが出てきた。年季の入った踊りは、さすがに重みがあった。このあたりでは、有名なダンサーかもしれない。あっという間に楽しいショーは終わり、みんなでふたたびバスに乗り込み、ホテルまで帰ってきた。

 

←前日(1月3日)にもどる       翌日(1月5日)にすすむ→

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です