マドリード・トレド

12月30日 マドリード市内観光~トレド

 前日の29日の午前11時に成田を出発し、ヒースロー空港を経由してマドリードに到着したのは現地時間で夜の11時を過ぎていた。
 マドリードのバラハス空港では、スーツケースがなかなか出てこず、みんなイライラしながら待っていた。そのうえ、ツアーに参加した3人の荷物がどこかで迷子になったようで、その手続きなどでさらに時間がかかった。
 ようやく空港の外に出ると雨が降っていた。気温は12度で寒くはない。バスに乗り込んでホテルに到着したころは、すでに日付が変わっており、シャワーを浴びてすぐにベッドに入った。長旅で疲れてはいたが、時差ボケなのかなかなか眠れなかった。

■プラド美術館を見学、世界三大名画に「リーチ」

 翌30日は9時に集合して、マドリードの観光に出発した。午前中にプラド美術館、王宮、スペイン広場などを半日で見て回る忙しい日程だ。市内観光には、トニーさんという女性の現地ガイドが同行した。
プラド美術館入り口

 はじめに訪れた国立プラド美術館は、15世紀以来の歴代のスペイン王家のコレクションがおさめられ、1819年に王立美術館として開館し、1868年のスペイン革命後に、現在のプラド美術館という名称になった。ゴヤの「裸のマハ」「着衣のマハ」をはじめ、ベラスケスやエル・グレコなどの数々の名画が展示されている。

 世界的に有名な美術館だけあって、館内は多くの人で混雑していおり、日本人のツアー客もしばしば目にした。お目当ての2人の「マハ」はならべて飾られており、2つの絵をじっくりと比較できるようになっている。ガイドのトニーさんは、スペインで習ったという日本語を駆使して、一生懸命に解説してくれるのだが、いまひとつ意味がよくわからないところがあるのが残念だった。

 私は、男性の日本人ガイドを同行しているツアーにこっそりと近づき、その解説を盗み聞きしてみたが、「裸のマハ」と「着衣のマハ」では、同じ作者にもかかわらず、筆遣いが一方は繊細であり、他方はぞんざいであることや、2つの「マハ」が描かれた理由や時代的背景なども詳しく語られていた。
これまでのツアーで何度も経験してきたが、こんなときはいつも、現地の「日本語ガイド」の限界を感じてしまうのだった。

ゴヤの像 プラド美術館には、ベラスケスの「ラス・メニーナス(宮廷の女官たち)」が展示されている。ちなみに、「ラス・メニーナス」とアムステルダム国立美術館にあるレンブラントの「夜警」、そして、トレドのサント・トメ教会が所蔵するエル・グレコの「オルガス伯爵の埋葬」を世界三大名画と言うらしい。レンブラントの「夜警」は、かつてオランダを訪れた際にお目にかかっており、トレドには今日の午後から行くことになっているので、今回の旅行で三大名画をすべて鑑賞できることになる。ガイドのトニーさんは、トレドに行ったら、絶対に「オルガス伯爵の埋葬」を見るように強くすすめるのだった。
 プラド美術館の見学は1時間半程度で終わり、スペイン王家の数々のコレクションのほんの一部を鑑賞するにとどまった。半日でマドリードを見て回るというのだからそれも仕方がない。

■スペイン王宮で衛兵の交代を見る

 美術館を出ると、入館を待つ長い行列ができているのを見てびっくりした。館外の広場にはゴヤなどの銅像があり、それをバックにして訪れた人たちが記念写真を撮っていた。
バスに乗り込んで王宮にむかう。車中からは、中央郵便局や市役所、スペイン国立銀行などの古い建物が見える。これらの建物を、トニーさんが流ちょうな日本語でガイドしてくれた。

 繁華街のグランビア通りは1,315メートルもの長さがあるそうで、日本の「年末ジャンボ」のように、地元の宝くじを買い求める人たちの長い列が車窓から見えた。通りにある劇場にはブロードウエイのミュージカル「シカゴ」が上演されていて、大勢の人々で賑わっていた。通りは正月を迎える日本のような活気があったが、降誕節のまっただ中にあるスペインの人たちは、キリストの誕生を祝って繁華街に出てきているのだった。

ドンキホーテとサンチョパンサ 王宮に着く前に、スペイン広場に立ち寄り、ドンキホーテとサンチョパンサの銅像の前で、それぞれのカップルで記念撮影する。今回のツアーは、男女のペアが11組で、両親と娘1人の家族、それと1人で参加した男性の合計26人となっていた。ツアーには太田さんという女性の添乗員が同行していた。
スペイン広場でも、クリスマスの特設バザーが開設されていて、プレゼントにするような小物がたくさん売られていた。

 正午を過ぎる頃、王宮に到着する。実際には、ここには王様は住んでおらず、マドリード郊外のサルスエラ宮殿で暮らしているそうだ。宮殿はスペイン政府の所有で、王宮内はゴヤやベラスケスなどの芸術品が飾られているが、今回は、衛兵の交代を見物するだけで、内部の見学はなかった。その代わりに、衛兵の交代が始まるまでの間、海外ツアーではお約束の免税店に連れて行かれた。高いブランド品にはまったく興味がない私たちは、そそくさと外に出て、王宮の近くの商店街を散策していた。

衛兵の交代 そうこうするうち衛兵の交代の時間となり、馬に乗った凛々しい姿の兵隊たちがどこからか現れた。馬の足並みがそろっていて、兵隊たちはとてもかっこよかった。あっという間に引き継ぎの儀式はおわり、それと同時に人垣も崩れていった。

■トレドへの半日ツアーに出発

パエリヤ2  昼食は、スペイン料理店でおなじみパエリアをごちそうになった。エビやイカ、ムール貝など海の幸がたっぷり入っていて、焼きめしというよりも雑炊に近い食べ物だ。大きな皿を何人かで分け合って食べたが、お腹がいっぱいになった。

 レストランを出た頃から雨が降り出した。午後は、バスでトレドの街まで出かけた。途中で、日本人ガイドの木下さんという女性をバスに乗せる。加えて、現地のガイドをかならず付けなればならない規則があるそうで、日本語も話せず、ただ単にただ単に一緒に行動するだけの男性ガイドが一緒についてきた。

トレド全景

 木下さんの話では、スペイン南部は大洪水だったそうだが、標高660メートルのマドリードは、まったくその影響はなかったそうだ。ただ、道路はどこも水はけが悪く、車の事故は多いようだった。日本車は、税金の分だけEU諸国の車にくらべて高いそうだ。

 消費税は16%だが、食品は7%、穀物は4%に抑えられている。スペイン国内の失業率は高く、木下さんは、ヨーロッパの失業者の半分がスペイン人だと言っていた。景気も悪いようで、マンションの売れ行きも良くないと話した。

トレドの街角1

 そんなスペイン事情を聞いているうちに、トレドの街が見えてきた。タホ川に囲まれた旧市街地には大聖堂やさまざまな教会があり、1986年にユネスコの世界遺産に登録されている。洪水の影響なのか、増水したタホ川は、泥だらけの水が泡立ちながらはげしく流れていた。

15時半にトレドに到着し、バスから降りて、クリスマスの雰囲気のただよう細い道の商店街をツアーの一行がぞろぞろと歩く。お菓子やハム、チーズなどの食料品から、洋服、バッグ、小間物、みやげ物など見ているだけで楽しくなる。トレドにて

 やがて高い城壁をくぐり抜けると、16世紀の旧市街地となり、左に教会の大きなドームが見えてきた。途中、キリストの生誕を祝って贈り物を持ってきた「東方の三賢者」を描いたミニチュアセットがあった。これから先、あちこちの都市でこのミニチュアを目にすることになる。

■絢爛豪華な大聖堂、宝物の数々にびっくり

トレド大聖堂  街のシンボルとなっているトレド大聖堂に到着する。大聖堂は、1226年に建設が始まり、1493年に完成したゴシック様式の建物だ。5㎏の純金で修復した中央祭壇や、巨大なステンドグラスには目を見張った。祭壇に掲げられている宗教画は、27人の職人が4年がかりで完成させたそうだ。

 祭壇の脇には宝物室があり、そこにそなえられた数々の高価な品は、木下さんの話では、言うなれば枢機卿へのワイロだったそうだ。金や銀、宝石でいろどられた品々から、当時のキリスト教会の権力の大きさがうかがえる。なかでも、ガラスケースに収められたキリストの「聖体顕示台」は、金ぴかに輝いていてた。180キロもある顕示台をかついでトレドの街を練り歩く祭りがあると聞いた。

オルガス伯爵の埋葬 午前中にガイドのトニーさんから「絶対に見ろ」とすすめられた世界三大名画のエル・グレコの「オルガス伯爵の埋葬」があるサント・トメ教会は、大聖堂から少し離れたところにある。ツアーの日程には教会の見学が入っていたのだが、残念ながら時間切れとなってしまったのだった。さていよいよというところで、三大名画鑑賞の達成を断念せざるをえなかった。

 トレドの旧市街を一回りして、ふたたびバスの乗り場に戻ってきた頃には6時を過ぎていた。ホテルに到着したのは7時半頃で、いったん荷物を置いて、ホテルのすぐ近くにある美術館・国立ソフィア王妃芸術センターに出かけた。

guernica この美術館には、ピカソの「ゲルニカ」が展示されていた。夜になると入場料が無料になることもあり、広い館内にはたくさんの人たちが来ていた。ゲルニカのある展示室に入っていくと、モノクロの大きな絵が正面の壁いっぱいに飾られており、その迫力に圧倒された。

 ほかにも、ゲルニカの部分部分をピカソがデッサンした「コンポジション・スタディ」が無数に飾られており、それを見るだけで、ピカソがどれほど深く構想を練りながらゲルニカを完成させたのかが想像できた。「コンポジション・スタディ」には、とくに女性が涙を流している絵が多く見られ、その一つ一つの絵が、戦争の悲惨さを伝えているようだった。

トレドの街角2

 美術館を出て、レストランに入って夕食を食べることにした。「コシード」と呼ばれる野菜や肉の煮込み料理を食べたくて、メニューにあった「ベジタブル&スープ」と記されている料理を頼むと、ガイドブックとはまったく異なる豆とハムのシチューが出てきた。ウエーターに頼んでみたところ、ここにはコシードはないと言って、首を横に振られてしまった。しかたなく他のものをいろいろオーダーしたのだが、どれもそれほどおいしくなかった。

 やはりホテルで食べた方がよかったかもしれないが、何事も経験であり、地元の人とのふれあいが大切なのだ。そんなことを2人で話しながら、疲れ果てて、10時近くにホテルに帰ってきた。

 

2件のコメント

  1. プラド美術館のラス・メニーナス見てきました!
    それが超スピードの絵画鑑賞で、美術館内を走り回った記憶があります。
    (じっくり見たかったのに~~、ツアーだとそのへんが不便ですね…)
    ピカソ美術館ではピカソのラス・メニーナスを見ることができました。
    二つの作品をポストカードで見比べると結構おもしろいです。

    1. ご覧いただき、ありがとうございます。
      私たちも、プラド美術館は数時間しかいられず、
      「マハ」だけを見に行ったような感じでした。
      バルセロナのピカソ美術館には残念ながら行きませんでした。
      その代わりに足を伸ばしたモンセラが最高でした。

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