8月29日・日曜日(ハーグ→デルフト→ブルージュ)

 時差ボケで夜中に目が覚め、そのあとはうつらうつらするだけで夜が明けた。
ツアーは、ハーグ市内の観光から始まった。気温は19度、ハーグの朝は肌寒い。
国際司法裁判所のあるハーグには、日本をはじめ、各国の大使館が一堂に会している。オランダ女王の執務室もここにある。行政の中心地でもあり、保健省や教育省、財務省などの大きな建物がバスの窓から見えた。

オランダ国内のガイドを担当するのは、アムステルダム在住の備(そなえ)厚子さんで、奄美大島生まれで、兵庫県の西宮に住んでいたと自己紹介する。そんな育ちを感じさせないほど、わかりやすい標準語で淡々と、ときには情熱を込めてガイドしてくれる。

オランダの人たちは、みんな自転車好きで、道路には、歩道と車道の間にかならず自転車専用道路が設置されている。専用道路はスピードを出して自転車が行き交っていて、備さんは、オランダでは自動車よりも自転車に気をつけてくださいと注意を促した。確かに、旅行期間中、何度かあぶなく自転車にひかれそうになった。

ハーグにある国際司法裁判所の門前で写真を撮る。もちろん、日曜は休みだが、裁判所には、「雅子さま」のお父さんである小和田恒氏が15人いる裁判官の一人として常駐しており、妻と愛犬といっしょにハーグに住んでいる。

●レンブラントの「夜警」を描いた巨大なデルフト焼きにビックリ

バスはハーグから近郊のデルフトへ走る。10時に陶磁器工場に到着する。「デルフト・ブルー」で世界的に有名なデルフト焼きは、日本の伊万里焼がヨーロッパの王侯貴族にもてはやされたとき、これを徹底的に模倣し、血のにじむような努力と試行錯誤の結果、デルフトの人たちが完成させたものだ。訪れた「ロイヤル・デルフト」も、17世紀に創業し、オランダ王室の御用達の工場である。

工場には、数々の陶器とともに、いくつもの陶板を組み合わせてレンブラントの「夜警」を描いた高さ・幅ともに5メートルはある巨大な作品が展示してあった。備さんによれば、すでに売約済みとのことだったが、買い手が誰であるのか、はたまた値段はいくらなのか、いっさい秘密らしい。陶板の組み合わせである以上、デルフト・ブルーの色合いには細心の注意が必要だったとのことで、これだけのものをつくり出した苦労はいかほどだっただろうか。その苦労を考えると、値段をあれこれ想像するのは野暮というもの。

確かに、デルフトの陶磁器は、世界的に有名なもののようで、どの展示品(=商品)も、おいそれと手が出せそうにない値札がついたものばかりだった。日本の陶磁器をひたすらまね続け、やっと完成させたオランダの人たちの技術に敬意を表しつつ、風車の横でキスをする子どもが立っている小さな置物を買い求めて、工場を後にする。

●「真珠の耳飾りの少女」に思わず引き込まれる

 ハーグのマウリッツハイス王立美術館の開館が休日は11時からなので、ふたたび、高速道路を引き返し、フェルメールやレンブラントの名作が並ぶ美術館を約1時間かけて見学する。ハイライトは何と言っても、フェルメールの「真珠の耳飾の少女」である。「青いターバンの少女」とも呼ばれる作品は、1665年頃に描かれたものだ。備さんのガイドもすばらしく、絵をじっと見ていると、真っ白な真珠の耳飾りをしてふり向く少女の目に引き込まれそうだ。

 美術館には、「デルフト眺望」というもう一つのフェルメールの名作があるが、「牛乳を注ぐ女」や「窓辺で手紙を読む女」などの作品には、アムステルダムで直にお目にかかれるはずだ。
レンブラントの「チューリップ博士の解剖学教室」は、芸術と言うよりも、写真がない当時の「集合写真」みたいな意味合いを持ったものらしく、依頼者がお金を出し合って、自分の顔を描いてもらったそうだ。

3階建てのこぢんまりとした美術館を出ると、その並びに内閣と総理府の建物があり、写真を撮りながら中庭を通り抜けて、表通りへ出る。何かのイベントがあったらしく、中庭には、煉瓦造りの古い建物とは似合わない大きなテントがおいてあった。オランダは、煉瓦の街であり、道路まで煉瓦で敷き詰めてあり、そのほどよい柔らかさが、人の足や膝にもやさしくて、疲れないらしい。それとは逆に、ベルギーは、建物も道路も石の街だそうで、その違いを足で感じてほしいと言っていた。オランダの歴史やオランダ人の性格を語る彼女のガイドからは、心底オランダを愛する気持ちが伝わってくる。

●おとぎ話のような景色がひろがるキンデルダイク

 昼食は、ハーグのレストランで魚と肉の料理をいただく。広い庭に羊や牛が飼われている不思議なレストランだ。オランダビールのカールスバーグを飲む。はじめは白身のマスを焼いて上にホワイトソースをかけたもので、その次に豚肉の小さな固まりを焼いたものが出てくる。これといった特段の調味料もなく、いたってシンプルな料理だ。付け合わせに人参とグリンピースを一回り小さくしたような豆、それとフライドポテトが山のように出てくる。デザートには、桃の味のするアイスクリーム。とても甘い。
 ふたたびバスに乗り、風車の街、キンデルダイクへ。世界遺産ともなっている風車群だが、今はもう本来の役目を終えて、ほとんど使われていない。キンデルダイクとは、「堤防の子ども」という意味で、ガイドの備さんがそのいわれを教えてくれたのだが、今では思い出せない。たしか、大水害になったときに、子どもが川にさらわれて、堤防の上で九死に一生を得たという話だったような。

バスの車窓からは、遠くの方まで風車が見える。このあたりは、チューリップが咲く初夏の頃は、ほとんど毎日、霧に覆われているらしく、19ある風車がすべて見えるのは珍しいと福永さんが言う。テレビや写真で見たおとぎ話のような風車の世界が、目の前にひろがっていた。
1つだけ有料で開放されている風車に入り、狭くて急なはしご段を苦労してのぼる。降りるときは、みんな足がすくんでしまい、はしごの前に行列ができる。1階には、生活する場所があり、やかんやナベ、かまどなどをそのままにして展示してあり、台所の横には狭いベットが住んでいた当時のままの姿で置いてあった。

いくつかの風車を、目を凝らして見てみると、白いレースのカーテンが窓をおおっている風車があった。そこには、まだ人が暮らしているようだ。風車の建物の脇には、それをそのまま小さくした、犬小屋のような風車まであった。庭とおぼしき敷地もきれいにしており、生活が感じられた。はたして、風車の中の暮らしはどのようなものなのだろうか。狭いベットで寝起きしているのだろうか。
引き返す道沿いにあった売店で、風車が写った絵はがきを買った。

●迷いながらも無事に城壁都市ブルージュに到着

バスは国境を越え、一路ブルージュへ、運転手が何度も道をまちがえ、近所の人に道を訊ねながら、ようやくブルージュに到着する。世界遺産ブルージュの旧市街地に入る跳ね橋を渡り、「ド・メディチホテル」に無事たどり着いた。
夕食は、ホテル内のレストランで小エビのクリケット。日本では、エビクリームコロッケである。形も俵型で、思わずとんかつソースをかけたくなる。フォークとナイフで上品にコロッケをいただいたが、クリケットは、オードブルにあたるそうで、その後、牛肉のメインディッシュが出てきた。ビーフシチュー風のその料理は、リンゴ半分を薄く切って煮たものが上にのっていた。牛肉はビールで煮てあるそうだ。さすがビールの国である。

飲んだのは、ドラフトと呼ぶ普通の生ビールで、その他、「デビル」ビールもあったが、その名前を聞いて、遠慮した。節子は、女性向きだという「チェリー」ビールを半分ほど飲む。名前の通り、赤い色をしたビールである。 9時頃までレストランにいた後、ホテルの外に出て、ようやく暗くなりかけたブルージュの街を少し歩いてみた。街はひっそりしていて、通る人も少ない。地理もわからず、数百メートル歩いただけで、急いでホテルに引き返す。部屋に帰ると、テレビがアテネオリンピックの開会式を生中継していた。

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