エジプト旅行記(2002年5月)

5月9日(木) ルクソール?カイロ

 6時に起きる。気分は悪くない。さっそく、二人で朝食を食べに行く。そこには、当然のように朝粥が置いてあった。さっそく器に盛りつけて、みそ汁もいただく。とてもおいしい。

●ハン・ハリーリはエジプトの「アメ横」

 部屋に帰って少し休憩する。ナイル川が見えるテラスの椅子に座っていると、その横顔を見た節子が、顔が一回り小さくなったという。確かに、食事をしてきたばかりというのに、ズボンのベルトが少し緩い。
 8時にホテルを出発。2日2晩、いろいろとお世話になったルクソールのホテルともこれでお別れだ。
 今日は、空港からカイロへと戻ることになる。ルクソール空港のセキュリティがこれまで以上にきびしく、ゲートをくぐり抜けるたびに、ことごとく金属探知器にひっかかる。さらにカメラケースやフィルムケースの中まで、重箱のすみをつっつくような手荷物検査の念の入れようには閉口した。
 それには理由があった。実は、エジプト航空の飛行機がイスラム原理主義のテロにあって、きのう、チュニジアに墜落したらしい。その直後とあらば、だれもが神経をとがらせ、チェックが一段と厳しくなるのも納得できる。機内に入る直前でも、バックの中身を調べられた。靴底に爆弾を抱えて自爆するイスラムのテロリストがこの世の中に存在する限り、念入りになりすぎることなどないのだ。
 11時前にカイロ国際空港に到着、バスでハン・ハリーリへむかう。日本で言うと、アメ横のようなところだ。節子は、店の主人に値引きさせて、30LEでガラベーヤというエジプトの民族衣装みたいなものを購入する。どうやら、私がダウンしている間に、ツアーの女性軍で示し合わせ、今夜予定されているナイトクルージングでお揃いで着ようと言う相談がまとまったらしい。
 ハン・ハリーリの店では、商品を値切るのが当然とされている。つまり、値札はいいかげんで、そのままで買うとバカを見ることとなる。それを誰もが知っていて、まず、値段の交渉がはじまる。20LEの品物が、簡単に10や5になったりする。
 しかし、ある店で、60LEの値がついている象眼細工の写真立てを買おうとしたとき、10LEから交渉を始めたが、相手は40から一歩もゆずらず、結局交渉は決裂となった。「いらん」と振り向けば、たいていは、追いかけてくるものだが、そこの店主は違っていたのだ。象眼細工をライターの火であぶり、プラスチックの偽物でないことを強調したが、結局、こちらも40LEで手を打つタイミングをなくしてしまったのだった。

●どこへ行っても写真を撮ると金を要求される

 楽しいショッピングも終えて、午後からは、カイロ郊外のメンフィスにあるラムセス2世の巨像や、クフ王のピラミッドなどと比べてややマイナーなサッカラの階段ピラミッド、ダハシュールの赤ピラミッドなどを大急ぎで見て回る。
 その前に、カイロ郊外サッカラの羊料理レストラン「Ezba Resort」に立ち寄り、昼食となる。オープンで屋根には扇風機がついている。前庭には、山羊やラクダがつながれている。
 出てきた羊肉は、身が固くて、スジが残る。怖くて飲み込めない。病み上がりで、おそるおそる食べ物を口に運ぶ。香辛料が苦手で、あまり多く食べられない。
 帰り際、レストランの出口に民族衣装を着た7、8歳のかわいい女の子が立っていて、節子がその子に頼み込んで、一緒に写真に入ってもらう。そのお礼にと、日本から持ってきた絵はがきを渡したのだが、彼女は、さっそくビニールの袋から取り出すと、明かに不満げな表情をした。やはり、現金がほしかったのだ。確かに彼女はキンキラに着飾っていて、つまり、写真を撮らせて観光客からカネを取ることが、彼女に与えられた仕事だったのだ。
 車はひたすら田舎道を行く。地主である農家の邸宅は、どれもバカでかいものばかりだ。その一方で、小作は、小さくて粗末な掘っ建て小屋にすんでいる。ここでも、貧富の差はとてつもなく大きい。
 年間15ミリしか降らないエジプトでは、農家は、すべてナイル川の水頼りである。まさに、ナイルの水は命の水なのであった。そのナイル川の支流が農地の間を流れており、泥水のようによどんでいた。よく見てみると、川の真ん中に牛の死骸がそのまま放置されている。ひょっとして、人間の死体も投げ込まれているのではないかと疑ってしまった。
 最も古いと言われている「階段ピラミッド」では、地元の女性が牛に乗ってぶらぶらしていた。めずらしいので、観光客がカメラをむけると、すばやく顔を隠してしまう。ところが、私たちが近づいていくと、さかんに写真を撮れと命令する。が、同時に、カネも要求してくる。顔を隠した理由がわかった。ここでは、すべてビジネスなのだ。大人であろうと子どもであろうと、写真を撮るにはカネが必要なのである。しかたなく、その女性に適当な額のチップを渡して、節子を並ばせて写真をとった。
 写真にカネが必要なことは、メンフィスからダハシュールへ行く途中で立ち寄った「アクナトン・カーペットスクール」でも変わりはなかった。日本で言えば小学校に入ったくらいから高校生くらいまでの子どもたちが、エジプト伝統の絨毯の作り方を教わっているいわば専門学校である。この街道に沿いには、こうしたカーペットスクールがたくさんある。
 そのスクールで、節子が、一生懸命に手を動かす17、8歳くらいの女の子のそばに行って、カーペット作りのまねごとをしてみると、近くにすわったとたんに、「マネー、マネー」と小声でせびられるのである。もちろん、こうした悪い習慣の背景に日本人をはじめとする外国人観光客がいることは間違いないのだが。

●高級品ばかりがならぶカーペットスクール

 カーペットスクールでは、1階は「学校」で子どもたちがいて、2階が観光客のための即売場になっていた。日本円が使える上、売り場には、日本語の上手な店員がいて、懇切丁寧にエジプトのカーペットについて教えてくれた。どこから来たのかと言うので、東京と答えたら、すかさず東京のどこかと訊くので、江戸川と答えたら、彼はしばし考えて、葛飾区の隣ではないかと言った。聞いてみると、彼は積水化学のエジプト現地工場の社員だったそうで、研修で日本にしばらくいたことがあるとのことだった。東京や大阪にも住んだことがあるそうだ。それにしても、日本語がうまい。
 その口の上手さにのせられて、さすがに10万も20万もする高価な絨毯には手が出せなかったが、タンスの上にでも置けそうなエジプト綿でできた小さな花瓶敷きを購入した。それでも、6千円と決して安くない。他のメンバーも、店の品物の高さに気づいていて、だれも手を出さなかったが、少しくらい値が張っても、記念になればと、ハン・ハリーリのような値切り交渉もせず気前よく金を出したのだった。
 カイロ郊外の観光から帰ってきて、最後の宿となる「ル・ロイヤル・メリディアン・ナイル・タワー」ホテルには5時すぎに到着した。
 バスの中では、ガイドのナセル氏のアルバイトということで、エジプト産のチョコレートを買う。エジプトでは、歴史がある店のもののようで、スイスやベルギーならばおみやげは真っ先にチョコだが、暑い国では珍しい。中にナツメヤシが丸ごと一つ入っていて、そのため、形が不揃いで見た目もよくない。かなり高価だったが、珍しさもあり、各方面のおみやげに買い求める。
 ホテルで休憩した後は、いよいよツアー最後の夜の大イベント、ナイル川クルーズに出かけるのであった。
 7時30分にナイル川に停泊中の遊覧船「スカラベ号」に乗り込む。もちろん、節子をはじめツアーの女性たちは全員、色とりどりのガラベーヤを着ている。
 あたりは明るく、まだ他の観光客はだれも来ておらず、一番乗りだ。席について、しばらくしてバイキングの料理を取りに行っていると、いつのまにか船は出発していた。船は、ゲジラ島とローダ島の周りをゆっくりと進む。とは言っても、だれも窓外の景色は見ようとしない。

●最高に盛り上がったナイル川のディナークルーズ

 食べ物が腹に収まり、いくぶんかワインの酔いが回ってくる頃、ベリーダンスのショーが始まった。日本語にすれば腹踊りだ。いささか幻滅したのは、ダンサーの女性が、かなりの中年太りで、腹をよじって踊ると、たっぷりの贅肉がぶるんぶるんと音を立てるかのように波打つことだ。おまけに、何年前に手術したものなのか、盲腸の跡までくっきりと見えるのだ。それだけ、腹の肉が伸びきっていると言うことだ。
 それでもさすがにプロである。30分近く全力で踊りっぱなしでも、息が切れることがない。彼女は、客をステージに引っ張り出し、いっしょにベリーダンスを踊らせたり、観光客のテーブルを一つも欠けることなくくまなく回り、客と並んでいる姿をカメラマンに写真に撮らせた。その写真は、船を下りるまでに現像し、帰り際に客に売りつけようと言う魂胆だ。どうやらこの船の中には、現像所まで完備しているらしい。
 ベリーダンスが終わると、これもエジプト名物のスーフィーダンスの男性がくるくると回りながらステージに登場した。スーフィーダンスとは、もともとは、スーフィー教の修行だったらしい。何度も身体を回していると、三半規管が麻痺し、無我の境地に達し、恍惚状態になり、神の世界に近づいていくという荒行だ。
 もっとも、現在は修行ではなく、見せ物になっており、出てきた男性も、色とりどりの鮮やかな衣装を身につけているし、手には、いくつものタンバリンのようなものを持っている。
 踊りがすすんでくると、腰につけていたひろがるスカートのようなものを回りながら取り外し、それを手で回し出した。日本で言うと座布団回しのような芸だ。そして、座布団回しをしながら、これまたカメラマンとともにまんべんなく各テーブルを訪れ、写真を撮っていった。
 それにしても、あれだけ回り続けていても、なぜ目を回さないのか。やはり修行のなせる技なのか。踊りの珍しさもあったが、とにかく感心した。
 余興がひととおり終わると、誕生日とハネムーナーへのお祝いへと続く。あつかましいことに、若い人たちにまじって、私たち夫婦も「ハネムーナー」の一員にしてもらう。司会の女性に呼び出されて、わがグループから5組が次々とステージにあがる。紹介されたあと、みんなで輪になって踊り出す。このころになると、すっかりワインが効いてきて、すでに恥ずかしさもどっかへふっとんでいる。ガラベーヤの衣装のおかげなのか、節子も大勢の前でおじけることもなく、はしゃぎっぱなしだった。
 だれもが最後の夜を楽しんでいた。気がついてみれば、昨日までベットでうなっていたのがうそのように、身体の調子が回復していた。
 ツアーの日程は今日で終わり、私たちは、明日午前の便で日本に帰ることとなっている。たった一晩だけであっても、こんなに楽しい夜を過ごせ、素敵な思い出を残すことができたのが幸運だった。
 船が着く間際には、ツアーのみんなで2階のデッキに上がり、「ハネムーナー」へ送られたお祝いのケーキをいただいた。船上から見上げると、今夜泊まる超デラックスな高層ホテルが、数々のイルミネーションの中でひときわ華やかに輝いていた。(おわり)

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