エジプト旅行記(2002年5月)

5月8日(水) ルクソール・王家の谷見学

 わずかな望みを持っていたが、翌日になっても、やはり熱は下がらず、下痢の症状もとまらなかった。

●ハイライトの王家の谷の観光を断念

 今日は、今回のツアーのハイライトでもある、ツタンカーメン王が眠る「王家の谷」の見学とあって、少しは無理をしても出かけようという気はあったのだが、身体が重く、そのうえ下腹には痛みもあり、力も入らない。気温は40度近くになるとあって、途中でダウンでもしたら同行のみなさんに迷惑をかけることにもなりかねないので、しかたなく観光は断念した。
 節子は、ハイライトの観光をひとりぽっちで行かなければならないことを寂しがった。私も、最果ての地まで来て、妻を一人にすることはこのうえなく残念なことだったが、いま、大切なのは、節子の心配を取り除くためにも、早く病気を治すことだと言い聞かせ、ベットでじっとしていることにした。
 6時すぎにホテルの朝食から帰ってきた節子は、私に、日本のお米で作った純和風のお粥があることを教えてくれた。たしか、このルクソールのホテルには日本料理店が入っていて、そこのコックが、日本人観光客へのサービスのため、特別に調理でもしているのだろう。
 節子は、果物とヨーグルトを私のために部屋まで持って帰ってきて、後でお粥を食べにレストランに行けと言い残して、一人で王家の谷の観光へと出かけていった。
 このころも、私は食欲がまったくなかった。というよりも、何か口にするのが怖いのだ。ふたたび、腹痛が激しくならないか、下痢がひどくならないかということを考えたら、もうそれだけで食欲が吹き飛んでしまうのだった。
 しかし、お粥という言葉にはいたく心を動かされた。時計はすでに9時になろうとしていたが、私は意を決してベットからのろのろ抜け出したのだった。
 地下1階にあるレストランには、遅い朝食を食べる外国人たちでけっこう混んでいた。もちろんそこには、早朝に観光に出かけていく日本人など一人もいないのは当然だった。
 そのかわり、優雅な外人がたくさんいて、レストランの外のバルコニーにでて、のんびりとジュースなどを飲んでいるのだった。何か俳優とか映画監督のような雰囲気の男性がバルコニーで本を読んでいて、そこに美人の背の高い女性がつかつかと歩み寄ってきた。二人とも笑顔で会話を交わしている。まさに映画の1シーンのようである。ルクソールはヨーロッパの金持ちにとってみたら、遺跡観光などするところではなく、バカンスをすごす保養地なのである。そんな人たちの遅い朝食風景を見ていたら、のんびりした気持ちになり、私までも保養に来ているような錯覚に陥るのだった。
 さて、肝心の朝粥であるが、バイキングの料理が置いてあるテーブルを3回ほど行ったり来たりしたが、結局、どこにも見あたらなかった。やはり、早朝に観光に出かける日本人たちへのスペシャルメニューなのであろう。急に食欲がなくなり、しかたなく、ヨーグルトや果物などをとってきて、一人テーブルで食べ、早々に部屋に引き返した。
 ベットに寝そべると、ホテルの窓からカンカン照りの空が見えた。その景色を見ているだけで、どれだけ外の気温があがっているかが容易に想像できる。この空の下で、ツアーの一行はたぶん今ごろ、汗だくになりながら王家の谷を回っているのではないかなどと考えていた。

●どんな薬よりもよく効いた「玉子雑炊」

 ホテルの部屋は冷房がほどよく効いて快適ではあったが、ベットに突っ伏していると、ひょっとして当分この病気は治らないのではないか、もう日本へは帰れないのではないかなどと弱気なことばかりが次から次へと頭にうかんできた。
 はじめの下痢からすでに1日半が経っていたにもかかわらず、腹が痛くなっては下痢をして、気休めに正露丸を飲むことの繰り返しで、症状はいっこうに良くならなかった。
 うとうととしていたところに節子が帰ってきた。14時30分。まだ陽は高い。猛暑の中でのエジプト観光は、朝早く出かけて昼過ぎには帰ってくるのが基本だ。
 さっそくおでこに手を当てると、「熱が下がってる。良かった」と言って喜んだ。腹痛は残っていたが、寝ている間に汗をかいて、熱がおさまったのだろう。
 朝食ですでに朝粥がなくなっていたことを伝えると、節子は、食べさせてやれなかったことをしきりと悔やんだ。昼食もまだであり、サンドイッチくらいは食べられそうだと言うと、ホテルの1階に軽食を出す店があるから行ってみようということになった。
 日本で言う野菜サンドやたまごサンドを期待していたが、しかし、その店に置いてあったのは、肉や魚のサンドイッチばかりであり、とても食べられそうにないので、しかたなく、あたたかい紅茶だけ飲んで部屋にひきあげた。
 しばらくベットで寝ていると、ホテル内の店へショッピングに出かけていた節子が帰ってきて、開店時間前の日本料理レストランで雑炊を頼んできたと、うれしそうな顔をして報告した。「みやこ」という名前の日本料理店のコックは、実は中国人だったらしいが、節子は日本人だとばかり思いこんで日本語で話しかけると、相手は困った顔をして、英語で理解できないむねを伝えたそうだ。それでも、片言の英語と身振り手振りで、夫が腹をこわし、下痢をしていて食べるものがないので、何とか朝食に出されたようなお粥をつくってもらえないだろうかと頼み込んだのだった。
 中国人コックは、お粥はできないが、雑炊ならばどうか、玉子雑炊やサケ雑炊ならばつくって差し上げることができると答えたのだった。それを聞いて、節子は、開店時間と同時にくることを約束して帰ってきたのだった。
 そんなことがあって、二人で日本料理レストランへでかけていった。でてきた雑炊は、お米こそいわゆる外米を使ってはいたが、よく出汁が効いていて、味付けなどはまさに和風そのもので、空っぽの胃袋のすみずみにまで染み渡るようなおいしさだった。すべて平らげてお茶を頼むと、ほうじ茶が出てきたのには、二人とも心から感激した。久しぶりに食べ物らしい食べ物にありついた満足感で、気持ちがぐっと楽になった。元気も出てきたようだった。
 そのまま床につき、翌朝、目が覚めると、腹痛もほぼなくなり、下痢も回復しつつあった。どうやら、正露丸をのまなくなったことも幸いしているようだ。聞くところによると、消毒剤を主体とした正露丸は応急処置としては効き目があるものの、何度も服用をつづけると、刺激が強くて症状を悪化させることもあるらしいのだ。
 とにかく、体調は良くなりつつあった。まだ下腹にはいささか力が入らないが、確実に快復している手応えが感じられた。

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