エジプト旅行記(2002年5月)

5月5日(日) カイロ到着?市内観光

 カイロ空港でスーツケースを受け取る。いささか古めかしい空港の雰囲気が悪かったのか、なぜかいやな予感がして、スーツケースをていねいに点検すると、その予感が的中して、ケースの側面にL字型にひびがはいり、少し力を入れれば穴があきそうだ。あわてて、添乗員の高橋氏にその旨を伝え、エジプト航空に弁償してもらうよう手続きをする。ケースはそのまま使うしか方法がないので、ヒビの部分にガムテープを幾重にも張り付けて、応急処置をほどこす。
 実は、ケースの損傷は、自宅から成田空港への配送の際、運送業者の不手際が招いたものであることが、帰国後になって判明するのだが、到着していきなりのトラブルに見舞われ、「9・11」以来、テロの渦中のアラブ諸国の旅の不吉な出足に、不安はつのるばかりだ。
 13人のツアーのメンバーは、空港で待っていた50人はゆうに運べそうなデラックスな大型バスに乗り込み、ホテルへむかう。バスには、明らかに自動小銃(軽機関銃)を上着の下にしのばせていることがわかるモハメッドという名のガードマンも同乗する。外国人のツアーにガードマンが随行するのは、「9・11」から始まったわけではなく、1997年にルクソールで起きたテロリストによる乱射事件以来のことだそうだ。このとき、日本人をふくむ69人が事件の犠牲となっている。わが家も、この事件の後しばらく、エジプトを海外旅行の候補地にあげなくなったのだが、すでに忘れかけていたテロの危険が、まざまざと現実となって目の前にせまってきた。
 一行は、ちょうど8時にカイロ市内の「ル・メリディアン・ピラミッド」ホテルに到着し、あわただしく、ホテルのバイキングの朝食を済ませ、ゆっくりと休憩する暇もなく、その30分後にはふたたびバスに飛び乗る。時差ボケで時間感覚がむちゃくちゃになっていることと、着陸の直前に機内食が出たことで、せっかくのバイキングもあまり食べられなかった。

●内部は意外とシンプルだったクフ王のピラミッド

 バスは、カイロ市内観光へ。ギザの3大ピラミッドのうち、もっとも大きなクフ王のピラミッドの内部にはいる。ここには入場制限があり、午前・午後各150人の1日限定300人だそうだが、定員には達していなかったようで、われわれの入場は運良く許された。
 入り口をはいり、急な坂、低い天井、狭い階段を、腰をまげながら苦労して上り詰めると、突然、広い部屋に出る。入口からここまで約8分かかった。そこが王様の棺をおいてあり、ミイラが安置されていた「玄室」といわれるところだそうだ。中央には、大きな石の棺が置いてあった。
 今回のツアーの間、すべての日程にわたってお世話になったガイドのナセル氏から、玄室のなかで説明を受ける。ナセル氏は、流ちょうに日本語を話す男性で、とても明るく愉快な人だ。ガイドの職業は、こちらではかなりの高給取りらしく、腕には、さりげなくローレックスが光っていた。
 わずか10分もかからなかった玄室が終点で、後は、もと来た道をそのままひきかえす。内部は、お化け屋敷のように複雑な迷路を想像していただけに、世界最大のクフ王のピラミッドも、あっけなく感じてしまう。これだけで、入場料10エジプトポンド(LE)(約200円)に加え、カメラ持ち込み料5LEまで徴収される。エジプト人の平均月収が1万円程度と言うから、かなり高額だ。
 3つのピラミッドが一望できるパノラマポイントや、スフィンクスの前で写真を撮り、ガイドのナセルさんの案内を聞きながら、ギザのピラミッド地域を一巡する。あたりでは、観光客たちを馬とラクダに乗せて、ピラミッドめぐりをさせる商売をしている。ただし、それらはトラブルが多いらしく、やめたほうがいいとのアドバイスをうける。
 どこに行っても、幼い子どもたちが土産売りをしていて、観光客にしつこくつきまとう姿には、複雑なものを感じた。
 12時を過ぎて、ナイル川のほとりの「シーホースクラブ」というレストランで昼食をとる。スズキのグリル、イカのフライ、それに、インドのナンに似た「エイシ」と呼ばれるエジプトのパンがつく。焼きめしのようなご飯も出てきた。
 レストランは、屋根があるだけで半分野外なので、食べ物にハエがむらがり、それを追い払うのに忙しく、閉口する。だが、猛烈な暑さで喉が渇き、さらに、エジプト航空の機内で禁酒を強いられていた身には、久しぶりのビールが実にうまい!妻にとがめられながらも、ガバガバとビールを飲んだ。

●ツタンカーメンの黄金のマスクと対面する

 午後からは、当初の予定を変えて、カイロ博物館へむかう。
 国立カイロ博物館は、フランス人考古学者マリエットによって1851年に設立された。紀元前5千年からのエジプト文明を展示しており、古代エジプト美術のコレクションでは、世界随一の展示品をそろえているのはもちろんだが、「盗人博物館」と揶揄されるイギリスの大英博物館に奪われた貴重な品々も多いと聞く。
 博物館入場の際に、ボディーチェックを受ける。そういえば、ピラミッドの入り口にも銃をかかえた警官が立っていたし、カイロの市街地にも数十メートルごとに武装した警官が立って警備していた。ここがテロの危険にさらされるイスラムの国なのだと、いたるところで思い知らされる。「ルクソール事件」の忌まわしい過去が、今でもこのエジプトを縛っている。
 エジプトでは金曜日が休日で、日曜は平日だと聞いた。しかし、館内は、まるで休日のように人で混んでいた。あちこちで人間がたむろし、話し込んでいる。いくつかの展示品の前では、制服を着た女子中学生らしい子どもたちが、座り込んで一生懸命に解説をノートに書き込んだり、スケッチしたりしている。学校の課外授業のようだ。節子が、彼女たちに英語で尋ねられたそうだが、残念ながら、「エデュケーション(教育)」という単語しかわからなかったらしい。
 博物館の奥の部屋に展示されていたツタンカーメンの黄金のマスクは、ガラスにしっかりと保護されながら、ひときわ美しさを周りに放っていた。ほかの展示物が薄汚れて見え、黄金のマスクだけが荘厳な雰囲気を感じさせるから不思議だ。
 このころになると、猛烈な睡魔がおそってくる。ナセルの案内を聞いているのも、おっくうになる。身体もだるく、立っているとふらふらしてきて、眠ってしまいそうだ。やはり、早朝到着して、そのまま観光に出かけるツアーはきつい。
 その後、市内のモハメッドアリモスクへむかう。カイロで最も有名なモスクだ。偶像崇拝を禁止するイスラム教の寺院らしく、多くの人が集まっていているが、豪華な飾りがあるわけでもなく、拝むべき神の像はなどはどこにも見あたらない。モスクの歴史をいろいろガイドしてもらったが、やはり、ひたすら眠たく、そして、暑い。
 午後5時、ふたたびホテルに到着。少し休憩して、7時から始まったホテルの夕食は、朝食よりも料理のバラエティがひろがり、鶏肉、魚、マトン、牛肉など、イスラム教で禁じられている豚肉をのぞく料理がとりそろえられている。どれも、かなり臭いにくせのある香辛料を使って料理されているが、食べてみるとおいしい。バイキングの料理をたっぷりと皿にのせて、片っ端からたいらげた。
 それに、暑い土地には冷えたビールが最高だ。ジョッキがすすむ。ごちそうを腹一杯味わい、そして、ビールもたくさんいただき、エジプト最初の夜に満足したのだった。

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