母の納骨を済ませました

t004.jpg 宇治市の黄檗にある「宇治霊園」に、新しく黒田家のお墓を建てました。墓石は3月に完成し、3月17日に母の納骨を無事とりおこないました。


 宇治霊園には、私ははじめて訪れましたが、妻はすでに先週 、父と一緒にここにやってきており、携帯で写したお墓の写真を見せてもらっていました。
 さて、実際に行ってみると、高台にある墓地からは、景色が遠くまで一望でき、母の墓も、駐車場から少し上がっていった場所にあり、見晴らしは抜群でした。
 心配された天候も、ここしばらくの寒の戻りで、冷たい風は吹いていましたが、頭上には3月の気持ちの良い青空がひろがっていました。
 翌日が彼岸の入り でもあり、駐車場にはたくさんの車が停まっており、家族連れの参拝者も多く、霊園はにぎやかでした。ここには、約2万5千のお墓があるそうで、びっくりです。
 タクシーを降りて、みんなで墓前に到着すると、新しい墓石には真っ白なさらしが巻かれていました。さらしは、すでに到着していた石材店が準備してくれたもので、花も墓石の両側にきちんと供えられていました。父は、墓石の後にご住職からいただいたた卒塔婆を供えました。
 「除幕式」ではありませんが、父と哲夫兄が協力して、さらしを少しずつ剥がしていくと、その下からは、父の筆による「永遠」という字が刻まれたインド産の黒御影石が現れました。横に長い「洋式」の墓石は、ずっしりと重みがあって迫力があります。ぴかぴかに磨かれ、黒光りがする墓石には、晴れやかな青空が映し出されていて、それがとても印象的でした。
 みんなで手分けして、あらかじめ用意してきた大根やゴボウ、洗米、紅白のまんじゅう、もちなどを墓前に供え、福知山の高見さんからいただいたしきびも、バケツにいれてお供え しました。それから、かまぼこ 板に「黒田家の司令塔、和代はここに眠る」と父が心をこめて書いた石碑ならぬ小さな「木碑」も、墓石に立てかけられました。
 自宅の台所から捜しだしてきたかまぼこ板は、墓石と比べればそまつなものではありますが、料理好きで台所に立つことを好んだ母は、父のささやかな思いやりを喜んだことでしょう。
 ご住職の指示で、骨壺が取り出され、小さくなってしまった母の遺骨を、参列した一人一人が手でつまみ出しながら、白い木綿の袋に納めました。母の骨を見るのは、葬式 の日以来ですが、火葬場で納めたまま、骨は白くてきれいでした。
木綿の袋は時間が経つと溶け、やがて骨も土と同化してしまうそうです。人はみな最後は土に還るのでしょうか。
 すべての遺骨が入れられると、袋は墓石の下の奥に納められ、重たい石のふたで閉められました。このとき、ご住職から、「これでもうこのふたを開けることはありません」と伝えられると、自然と手が合わさり、だれもが母の安らかな眠りを祈らずにはいられませんでした。
 遺骨が納められると、ご住職はふたたび読経を上げて供養してくれました。実家での法要と同じように、ここでも時間をかけて丁寧にお経を唱えてくれたご住職の心遣いが、心にしみてありがたく思いました。
 これで一通りの行事が終わったのですが、墓の回りに塩をまいたり、清酒をかけたりするなど、母が安らかに眠れるように後始末をしておく作業があるそうで、それは、ご住職にまかせて、私たちはその場を引き上げました。
もう少し母のそばにいてやりたかったのですが、私たちは、お清めに使う料理屋のマイクロバスを待たせてあったこともあり、後ろ髪をひかれる思いで急いで駐車場にむかったのでした。

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