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 せめて年に1回はどこかの国に行き、海外の名所を見て回ったり、いろいろな国々の人たちと出会ってみたいと思っていた。ヨーロッパに も3度行き、 エジプトやアジアの国々も夫婦で旅をしてきた。ところが、2004年にオランダに行った翌年に母が舌癌に侵され、不運にもその翌年には父が胃癌にかかり、 手術やら入院やらがつづき、海外旅行どころではなかったのだった。

 その両親も、一昨年、昨年とあい ついで亡くなってしまった。仕事の忙しさは相変わらずだったが、ゴールデンウィーク前半ならば、なんとか都合はつくと決断 したときは、すでに4月に入っていた。
 わずかな日数からすれば、とうていヨーロッパ方面にまで足をのばす余裕はなかった。アジアもしくはオセアニアに行き先は絞られ、ベトナムはどうかと話 が まとまりかけ、ならば、世界遺産のアンコールワットまで足をのばそうということになった。

●「ビザ」って何?どうやってもらうの?

  さっそく旅行社に6日間のパッケージツアーを申し込み、2人分の料金も払い込んだ。ところが、ここからが大騒動だった。久しぶりにパスポートを取り出して みると、昨年の5月にぷっつりと有効期限が切れていた。それに加えて、アンコールワットのあるカンボジアへの入国にはビザが必要なことが、旅行社のパンフ レットに書かれた小さな文字から判明したのである。

  ビザが必要な国など行ったことがなかった私たちには、それを取得する手段さえ思い浮かばなかった。妻は、ビザの発給まで2週間くらいはかかるのではないか などと言う。パスポート再発行の1週間をふくめて3週間かかれば、すでにゴールデンウィークは終わってしまうではないか。
  しかし、ここでキャンセルすれば、3割ものキャンセル料をむざむざと取られる。ねばり強くあれこれ調べてみると、インターネットで取得できる「e- visa」という便利な制度があることがわかった。カンボジア政府の「e-visa」のホームページには、日本語の説明も用意されており、さっそくそれに したがって、連絡先のメールアドレス、パスポート番号や入国日、入国場所などをパソコンから入力。デジカメで撮った顔写真を適当な大きさにトリミングして アップロード。最後に申請料をクレジットカードで支払うと、それですべての手続きが終了した。

 受理したというメールがカンボジア政府から数分で届き、なんと、次の日にはvisa、顔写真入りのビザがカラーのPDFファイルになって送られてきた。ファイル には、「これを2枚プリントアウトして、1枚を空港で提出し、もう1枚は自分のために持っておけ」とか、「印刷は、白黒でもまったく問題ない」などという 説明が、英語で親切に書かれていた。とにかく、ビザはあっけなく手元に届き、出発10日前にすべての渡航準備は完了した。

●ベトナム到着、ホーチミンはバイクの洪水

 4月25日の18時5分発のJL759便の成田出発が遅れたこともあり、ホーチミンのタン・ソン・ニャット国際空港への到着は現地時 間で23 時を回っていた。

  ホーチミン市は、ベトナム戦争の前はサイゴンと呼ばれた。今はベトナム第2の大都市である。タン・ソン・ニャット国際空港は、全世界への航空機が発着する 大空港で、日本でいえば関西空港といったところだ。最新設備を持つ華やかな空港には、かつての戦争の面影はどこにも見あたらない。

 ベトナムの通貨は「ドン」で、国内ではどこでもアメリカドルが通用すると聞いてはいたが、空港では、1万円だけドンに 両替した。空港を出ると、いきなりむっとする熱帯の暑さにつつまれた。驚かされたのは、夜中というのに、たくさんの人たちが出迎えに来ていて、まるでお祭 りのような騒ぎだったことだ。その群衆の間から、私たち夫婦の名前が大きなカタカナで書かれたプレートを見つ け出した。一生懸命に掲げていたのは、現地ガイドのホワンさんだ。腹の飛び出た中年男性で、顔つきはどこか日本人風だ。

   駐めてあったワゴン車に乗り、約20分で市内のレジェンドホテルに到着する。途中、道路には多数のバイクが車と同じように道路の真ん中を走っており、ぶ つかるのではないかとハラハラした。OLのような服装のごく普通の女性が、ごく普通にバイクに乗り、すいすいと気持ちよさそうに走っている。この時間に通 勤でもなさそうだが、かといって水商売にも見えない。そんな女性は何人もいたし、とにかくバイクの波は、ホテルに着くまで途絶えることはなかった。

  ホワンさんにチェックインの手続きをしてもらい、翌日の予定について簡単な打ち合わせをして別れた。ホテルのロビーはとても広くて、天井も高い。2体の巨 大な馬の銅像が客を出迎えている。日本人の利用者も多いようで、「吉野」という日本料理店まであった。
  とても広い部屋はエアコンがほどよく効いていた。日本との時差はプラス2時間で、0時前にベットに入ると、睡魔に襲われ、すぐに眠ってしまった。

  翌日は、9時にロビーに集合し、メコン川クルーズに出かけることになっていた。私たちの他に5人のグループが同行すると聞いていた。  
 朝食は、1階のロビーラウンジでバイキングをいただく。生春巻きなど現地料理にくわえ、和洋とりそろえて数え切れないほどの料理が並べられていた。すし や 納豆、味噌汁まで置いてある。日本料理店のコックがつくるものならば、味は確かだろうが、さすがにベトナムまで来て味噌汁に手を出す気にはなれなかった。

    予定の時間になってロビーに降りていくと、すでに同行する人たちがホワンさんとともに待っていた。5人連れの年配の女性だ。途中の車のなかでの話によれ ば、仲良しの5人組であちこちを旅をしていて、自分たちでは、「おとなしの会」と呼んでいるのだそうだ。「おとなし」とは、「おっと(夫)なし」という意 味で、つまり、一人をのぞいてみんな旦那さんが他界してしまっているという。
  「おたくさんたちのように、夫婦で仲良く旅行できてうらやましい」と、私たちを見て言ったが、旦那さんを世話する煩わしさのない人生を楽しんでいるように も見えた。

  ちょうど通勤時間帯にあたる道路は、昨夜の比ではないおびただしい数のバイクであふれていた。ほとんどが、日本で言う「原付バイク」で、半分以上が2人乗 りで、なかには、4人乗り のバイクもいた。ホワンさんの話では、親子のペアは「1人」と数えることを警察が「黙認」するのだそうで、つまり、両親と子ども2人ならば4人乗りができ るのだという。
両腕に赤ちゃんをかかえて、バイクの後ろに乗っているたお母さんの姿を何人も見た。それに加えて、お父さんが膝の上に子どもを乗せている。日本では想像で きない光景だが、決して本人たちは、危なそうにしていない。

 この国では、バイクは万能の乗り物らしく、後ろの座席には人間だけでなく、テレビや冷蔵庫まで乗せて走るそうだ。同行したご婦人らの話では、ハノイでは 生 きた豚を乗せたバイクを見たという。
 そんな話で盛り上がっているうち、車はナイル川クルーズ出発点のミトーの街に近づいてきた。

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