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 ワゴン車が郊外に出ると、ようやくバイクの波から開放され た。道路ぎわでは、いろいろな品物を並べて商売し ており、とくに、フランス パンを売っている屋台が目立った。かつてフランスの植民地だった名残で、ベトナムではフランスパンを食べる習慣があるようだ。

  「CAFE」と看板がかかっていた店が何軒かあったが、開け放しの店のなかには、椅子やテーブルとともにハンモックがかけてあるのが見えた。長い昼休みに は、喫茶店に来て昼寝でもするのだろうか。
  出発から約1時間半ほどでミトーの 市内に入った。メコン川クルーズの出発点だ。車を降りる頃、ぱらぱらと雨が降り出した。

  はじめに、エンジンのついた20人ほど乗れるボートでタイソン島までむかう。同乗した女性がその場でココナッツに穴を開け、それにストローを突っ込んだだ けの天然ジュースを一人一人に配っていった。飲んでみると、生ぬるいこ ともあって味はいまいちだったが、熱帯のムードを味わうことができる。 

  メコン川を流れる水は、茶色く濁り、あちこちにゴミが浮かんでいた。川幅は2キロもあるそうで、私たちがこれから向かうタイソン島も、正式には島ではなく 中州である。昨年7月、日本政府の全面的な支援で、メコン川に橋を架ける大型プロジェクトの工事中に起きた橋げたの崩落事故は記憶に新しい。ガイドのホワ ンさんも、50名以上の死者、多数の負傷者を出した悲惨な事故のことを船の上で語った。ホワンさんによると、橋の建設を請け負っていた大成建設をはじめと する日本の共同企業体は、命を落としたベトナム人作業員の家族への補償のため、残された子どもたちの大学卒業までの学費を全額支給することを決めたそう だ。 

  さて、20分ほどでボートはタイソン島に到着し、島内を散策しながら、手こぎボートの船着き場までむかう。途中、ドライフルーツやお茶をタダで出してくれ る休憩所があり、一休みしていると、おばさんたちが片言の日本語をしゃべりながら、袋入りのドライフルーツを次から次へと売りつけに近寄ってきた。せっか くなので、ハスの実に砂糖をまぶしたお菓子が美味しかったので、おみやげに5袋買い求めた。5袋で5ドルだったが、おばさんは、おまけに1袋をサービスし てくれた。

  ココナッツキャンデーを作っている工場にも案内される。工場と言っても、まさに家内制手工業の世界で、家族らしき4、5人の男女が、ココナッツジュースを 鍋で煮つめたり、それを冷やしたものを固めて包丁で小さく刻んだり、さらに、一つ一つを紙に包んだり、手際よく作業をつづけていた。日本のキャラメルほど の大きさだが、20粒入った1袋が1ドルで、ここでも5袋で1袋のおまけがつく。まだ暖かい出来たてを試食させてもらい、味は悪くはなかったが、すでにハ スの実を持っていたので買わな かった。 

  手こぎボートの船着き場では、いくつかのグループが順番を待っていて、待ち合わせの時間に、地元の人たちが歌のサービスをしてくれた。三味線のような弦楽 器と、日本の琴を小さくしたような楽器の伴奏で、アオザイをまとった若い女性たちが、きれいな歌声で2曲ほどのベトナムの歌のあと、日本語で「幸せなら手 をたたこう」を歌ってくれた。

  手こぎボートは6人乗りで、前後で2人がオールをこぐので、乗 客の定員は4人となる。私たち7人は、2隻に分かれてボートに乗り込んだ。オールをこぐのはほとんどが女性たちで、巧みにボートを操りながら、ヤシなどが 生い茂る島内の狭い川をすいすいとすすんでいった。途中、客を降ろして引き返してきた何隻もの空のボートと、船の縁をこすりながらすれ違う。

  熱帯植物の茂みの間からは、島内で生活している人たちの民家がいく つか見えたが、これといった見せ場もなく船はたんたんと川をすすみ、ほどなく景色が開け、メコン川の主流に出てしまった。ゆらゆらと浮かぶ小さなはしけに へばりつくようにして移り、そこに待機していた先ほどのモーターボートに乗せられ、ミトーの船着き場に引き返してきた。1時間半もかけてやってきた「メコ ン川クルーズ」は、あっという間に終わってしまったのだった。

●ドンコイ通りはブランドと偽物が同居する怪しげな街

 その後、ミトー市内のレストラン で名物のエレファント フィッシュの唐揚げをいただく。ソフトボールを一回り大きくしたような、中が空洞になっている「揚げ餅」はとても珍しく、どうやって食べるのか手を出しか ねていたら、店の人がハサミで小さく切り分けてくれた。その後、火にかけた鍋が出てきて、これも食べ方がわからずにいたら、鍋の汁を一緒に出てきたチャー ハンにかけて食べるのだと教えてくれた。

  エレファントフィッシュは、見た目は不気味だが、白身はさっぱ りしていて、香草とライスペーパーで巻いて食べると美味しかった。その他、焼きエビやサトウキビの芯にすり身を巻いたさつま揚げのような料理がでてきて、 なかなか豪華な昼食だった。缶に「333」と書かれた地元のビールを飲み、噴き出す汗をぬぐいながら1時間ほどかけてゆっくりと地元料理を楽しんだ。

  ふたたび車に乗ってホーチミン市内をめざす。しばらくたつと、雨が激しく降り出してきた。ホワンさんは、まだ雨期に入っていないので、すぐにやむと言った が、ザー と降ったかと思えばぴたっとやみ、また激しく降り出すという繰り返しが続いた。バイクの人たちは、ポンチョのような雨具をかぶって走っている人もいたが、 みんなどこかで雨宿りをしているのか、さすがに台数は減っていた。

  居眠りしていると、車はいつの間にかホーチミンの街中まで来ていた。途中、ベトナムの名産品である漆器の工場兼即売の店で降ろされた。旅行社の契約店なの だろう。一通り漆器作りの工程を説明され、日本語を話す店員からしきりと買うようにすすめられたが、どれも高額でとてもその気になる ような品物はなかった。

   時間もあったので、ホテルにほど近いドンコイ通りに車を停めて、つかの間のショッピングを楽しんだ。ドンコイ通りは、日本で言えば銀座のようなところだと ホワンさんは説明したが、たしかにヨーロッパの高級ブランドの店はいくつか並んでいても、店先の路上では、さっきメコン川クルーズで飲んだココナッツ ジュースを売っていたり、じっと立っていると怪しげなおばさんが偽のルイヴィトンを売りつけたり、さらには、靴磨きのブラシを持ったおじさんがよってきた りで銀座というにはほど遠く、その他にも、物乞いの女 性や海賊版のDVDを売り歩く子どもがいたりで、「銀ブラ」ならぬ「ドンブラ」を楽しめるところではなかった。

  通りに並ぶ店も、一目でわかる偽のロレックスを置いてある店があったりで、最新映画のDVDも海賊版がわずか1ドル40セントで堂々と売られていたのには あきれた。
  ホテルに到着し、しばらく休憩してから、夕食に出かけた。近くのレストランで、郷土音楽を聴きながら、ベトナム料理をいただくことになっている。5人組の 女性とふたたびワゴン車に乗りこんだが、彼女らは、今日の夜の便で日本に帰国することになっており、レストランの前でお別れのあいさつを交わした。

  「おとなしの会」のみなさんは、アンコールワットからハノイを回ってホーチミンに来たそうで、8日間の旅だったそうだ。明日からまた日常の生活に引き戻さ れることを嘆いていた。私たちが、これからアンコールワットまで行くのだと伝えたら、遺跡を回るのは大変だったので、急な階段の上り下りにはくれぐれも気 をつけるようにと助言いただいた。

  うす暗いレストランの中には、3分の1くらいしか席が埋まっておらず、日本人や欧米人が座っていた。出てきた料理は、おなじみの生春巻きと揚げ春巻き、日 本で言う豚の角煮、野菜の炒め物などで、豚の角煮は、ご飯と混ぜて食べるととても美味しかった。その他、魚介類や肉、野菜があふれるほどに入った土鍋が炭 火の小型コンロにかけられ、その汁をラーメンのような細い麺にかけて食べた。それにしても、30度をこえる気候なのに、なぜ昼も夜もアツアツの鍋料理が出 てくるのだろうか。

    食事をしているうちに、前方のステージにアオザイを来た女性が2人登場し、ベトナムの民族楽器を演奏しだした。日本の琴を小さくしたような楽器で、二人と も大きな帽子のようなものをかぶっていた。これも、民族衣装の一つのように見えた。衣装は華やかだが、演奏は、いたって控えめで、ベトナムの音楽を何曲か 聴かせてくれた。

 最後のデザートは、こちらにきて何度も食べているドラゴンフルーツや、パイナップル、マンゴ、スイカなどトロピカルなフルーツが並ん だ。
  食事が終わる頃、女性たちを空港まで送ってきたホワンさんがやってきた。ワゴン車でホテルまで送ってもらい、部屋に入るとどっと疲れが出て、バタンキュー だった。


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