ロマンチック街道を行くツアーは3日目をむかえ、中盤に入っていた。インターラーケンのホテルで朝を迎え、この日はアルプスの名峰ユングフラウヨッホに登る。
登ると言っても、もちろん足で登るわけではなく、麓から発車している登山電車に乗って、標高3,454メートルの頂上駅へとひとっ飛びで行く。ユングフラウヨッホそのものの頂上は、標高4,158メートルでもう少し上に位置する。
8時半にバスでホテルを出て、グリンデルワルドまでむかい、9時20分発のユングフラウヨッホ鉄道に乗り込む。終点のユングフラウヨッホ駅は、ヨーロッパの鉄道駅のなかでは最も高く、アイガー、メンヒなどといった、名前しか聞いたことのないスイスアルプスの名だたる山の頂上も手の届く距離にある。
それにしても、3千メートルを超える高所にレールが敷かれたのが、1912年だったというから驚きだ。日本では大正元年にあたる年に、富士山の頂上くらいのところまで電車を走らせたのにはおどろく。
しかも、エコロジーの考え方も先進的で、CO2を撒き散らして走った蒸気機関車が主流だったころ、全線に電気機関車を走らせるため、わざわざ苦労して長距離にわたって電線を敷設したのだから、もう当時のスイス人には降参するしかない。こうした努力のすえ、ユングフラウヨッホ鉄道は、スイス観光の目玉となり、世界中の人々が訪れるまでになった。
登山電車は出発してからいきなり急な坂となり、見る見る高度を上げていく。車窓には、アイガーの頂上が雲の間に見え隠れしていた。数多くの登山家をのみこんだアイガー北壁が見える。
クライネ・シャイデック駅で線路が変わり、別の列車に乗り換えて一気に頂上駅へとむかう。ここからはずっとトンネルの中だ。途中の駅で5分ほど停車するというので降りてみると、ものすごく寒くて震え上がった。ここがアルプスの山の上であることを実感した。駅の窓から外を見ると、一面の銀世界がひろがっていた。覗いている窓は観光客のためではなく、遭難者を救助するために設置しているそうだ。
■残念ながら頂上の視界はゼロメートル
ユングフラウヨッホ頂上駅は立派な建物になっていて、エレベーターでスフィンクス展望台へとむかう。アルプスの山々を一望できると聞いていたので、期待してここまで来たのだが、しかし、今日はあいにく天候が悪く、周りの景色はガスに隠れて10メートル先までも見えなかった。ユングフラウヨッホの頂上さえも見えない。
雪がちらつく中をデッキに出てみたが、寒いだけですぐに建物の中へ引っ込んだ。こんなに寒いのに、カラスが飛んでいて、デッキの手すりに平然ととまっていた。カラスは寒さを感じないのだろうか。世界一高いところにいるカラスかもしれない。それより、こんなところで一体何を餌にしているのか不思議だった。
展望も楽しめないまま帰りの電車の時刻となり、もときた道をそのまま引き返す。ある程度降りたら、青空が見えてきた。頂上でも、少しだけでもガスが開けていたらと、悪天候を恨んだ。
無事に麓の駅に到着し、インターラーケンの街まで戻ってきた。あとは自由時間となり、夕食も各自で取ることになっている。インターラーケンは観光地なので、レストランには困らない。添乗員さんは、インターラーケンで有名なレストランを紹介し、日本料理の店がある場所もみんなに教えていた。ここには劇場やカジノまであり、日本人も一稼ぎを夢見てよく行くらしい。
ホテルでひと休みしたあと、二人で街へと繰り出した。インターラーケンの街はとてもきれいなのだが、観光用に馬車が走っていて、馬があたりかまわず散らかしていく落とし物の臭いが、プーンとただよって鼻についた。
夕食は、紹介してもらった日本料理店などではなく、スイスに来た以上、2日連続ではあったが、チーズフォンデュの店を探した。このあたりの店は観光客を相手にしているので、探すまでもなくレストランはどこでもフォンデュを売り物にしていて、逆にさんざん迷ってしまったが、結局、入りやすそうな店に飛び込んだ。
■「とりあえずワイン」ではじめよう
はじめ、喉が乾いていたのでとりあえずビールを頼んだのだが、これが決定的な誤りだった。昨夜、チーズフォンデュにはワインがピッタリと言われたのを忘れていた。ジョッキをあけ、白ワインを頼む頃には、すでにビールで腹が膨らみ、おいしさが半減してしまったのだった。
とは言え、チーズフォンデュはやはりおいしく、刻んだパンに溶けたあつあつのチーズを浸すという食べ方も珍しく、楽しみながら食べることができた。パン以外にも野菜や肉などもチーズに入れて、しゃぶしゃぶのように食べるのかと思っていたが、昨夜もそうだったが、チーズに浸すのは最後までパンだけで、私たちはひたすらチーズがたっぷりついたパンを食べ続けた。
すっかり腹がいっぱいになり、ワインの酔も心地よかった。郷に入っては郷に従えで、日本のように「とりあえずビール」は、海外旅行に出たら戒めなければならないと痛感した。途中、カフェで大きなバナナが入ったパフェをデザートに食べて、ほろ酔い気分で馬糞の臭いのする道をホテルまで引き返し、早々とベッドにはいった。
4日目はインターラーケンのホテルを朝に出発し、ローザンヌまでむかう。約190キロのバスの移動だ。今日は少し時間の余裕があるらしく、10時の出発だ。時間があるので、朝のインターラーケンの街を散歩してみた。
あちこちにある公園にはきれいな花が植えてあり、さすがスイスの観光地だけあって、とても美しい街だった。朝早いのでさすがに土産物屋は開いていなかったが、ウインドーショッピングをしながら、ぶらぶらした。
途中、街の雰囲気がよく出る場所があって、二人で肩を組んでセルフタイマーで写真を撮ろうとしたら、三脚を固定したらあれよあれよという間に大きなキャンピングカーが車道に止まり、店の看板なども隠れてしまった。仕方ないので、そのまま撮して帰ったが、現像すると大きなキャンピングカーがしっかりと写っていたのだった。
■ちょっと不気味だったシヨン城
ローザンヌまでの長い道のりの途中、スイスの首都であるベルンに立ち寄り、バラ公園を散策した。ベルンの旧市街は、歴史を感じる街だった。その後に訪れたベルン公園には、動物園でもないのにクマがいて、昼寝をしていた。ベルンとはドイツ語でクマのことだそうで、ベルン州の州旗もクマをかたどったものだ。
12時半にシオン城に到着する。城の観光の前に近くのレストランで昼食をいただく。 昼食は、肉料理にキャベツの酢漬けが添えてあり、さっぱりした味で美味しかった。
レマン湖のほとりにあるシヨン城は、いかにも中世の城という感じで、石で積まれたがっしりした古い城だった。見学は、団体で頼むと専属のガイドが城内を案内してくれる。スイス人のガイドは日本語で話してくれたが、アクセントがおかしいうえに使う単語も怪しい。もう少し言葉を勉強してもらいたいと思いながら、城内のあちこちを見て歩いた。
城を入ってすぐに牢獄がある。イギリスの詩人バイロンの「シヨンの囚人」では、地下牢に閉じ込められたボニヴァールを悲劇の英雄として描かれている。ボニヴァールは牢獄の柱に4年間もつながれていたという。牢獄には、ボニヴァールがつながれていた柱と手枷が残っていたが、それが当時のものなのか、復元されたものなのかはわからなかった。とにかく、オドロオドロしい雰囲気だけは伝わってきた。
城内の各部屋には、捕虜を収容していたらしい牢屋や、大広間、食堂や台所などの生活スペースがあり、それぞれの部屋には中世の騎士がつけていた甲冑や盾、鉾などの武器をはじめ、鍋、釜、食器までが展示されていた。
海沿いに建っているシオン城は、海からやってくる外敵から守るために、覗き窓や鉄砲台が周囲に配置されている。城の中は昼間でもほの暗く、当時の人たちは窓際で本を読んでいたそうで、窓の脇には座れるように腰掛けが備え付けられている。
片隅には当時のトイレも再現してあって、ガイドに促されてぽっかりとあいている便器の穴をおそるおそる覗くと、はるか下に海面が見えた。まさに、水洗トイレになっているのだった。これらをじっくりと見学していたら時間がかかりそうだったが、大急ぎで一周し、そそくさと城を出てきた。
絢爛豪華だったノイシュバンシュタイン城にくらべれば、きわめて質素、悪く言えば粗末な城だったが、それだけに当時の人々の生活が感じられ、ゆったりと流れる中世の雰囲気に浸ることができたひとときだった。
15時半にシオン城を出発し、ひたすら高速道路を走る。ローザンヌにほど近いヴヴェイという街にチャップリンの銅像があり、バスを降りてしばし立ち寄り、記念写真を撮る。このあたり一帯はブドウ栽培が盛んで、山の上まで広がる「ラヴォーのブドウ段々畑」は、07年に世界遺産に登録されている。
■フランス超特急TGVで花の都パリに乗り込む
ローザンヌには国際オリンピック委員会(IOC)が本部を置いていて、IOCのオリンピック博物館を見学した。近くにはバラ園があり、美しく咲いたバラの花が観光客を楽しませている。ローザンヌの街中をあれこれ観光している余裕もなく、スイス国鉄ローザンヌ駅には17時に到着した。
電車の到着までには少し時間があったので、フランス・フランに両替して、ホームで電車を待つ。17時半過ぎに列車が着くと、はじめてのTGV乗車を記念して、車両の前で記念写真を撮った。列車は2等車だったが、重いスーツケースの積み込みも、現地のポーターがすべてやってくれて、こっちは乗るだけなのでとてもラクだった。
こういうところは日本のJRも見習ってほしいと思った。出張などでしばしば新幹線に乗ることがあるが、狭い通路の間を苦労して大きなスーツケースをガラガラと押している外人をよく見かけるからだ。ポーターがいて、スーツケースをまとめて置ける場所が車内にあれば、日本の新幹線も世界レベルで便利になるだろうと考えたりした。TGVは滑るようにローザンヌの駅を時刻通りに発車、すみやかに速度を上げていった。車内は快適でとても静かだった。
ローザンヌの市街地を抜けると、あとは延々と田園風景がつづいた。フランスのTGVが日本の新幹線を抜いて世界一のスピードで走れるのも、こうした地形が関係しているそうだ。走行距離の多くの部分が市街地になる新幹線は、どうしても障害物を避けるために線路がカーブが多くなってしまう。曲がりくねった線路では、どうしてもスピードを出して走ることができない。それと比べて主に田園地帯を走るTGVは直線距離が多く、市街地を抜ければすぐにトップスピードまで加速できるのだ。
そう言うわけで、海の風景も見えず、かなたに富士山が見えるわけではなく、ひたすら単調な景色をながめ、眠たくなった頃、添乗員さんから夕食の弁当が配られた。フタを開けてみると、なんと幕の内弁当だった。もちろん現地でつくったもので、ご飯はインディカ米を使ってはいたが、いたっておいしく料理されており、バスを降りるときに運転手さんから買い求めたビールを飲みながら、TGV車中でのささやかなディナーとなった。
電車はパリのリヨン駅に定刻よりやや遅れて21時50分に到着した。すでに真っ暗になっていて、人々で混雑する駅を出ると、待っていた大型バスに乗り込んだ。もちろん駅専属のポーターがいるので、荷物の心配をする必要はない。
バスに同乗したアンヌさんという女性の現地スタッフは、日本語がとても上手で楽しく話をしてくれた。はじめてのパリだったが、バスからは街の雰囲気もうかがい知ることはできず、ホテルに到着した。ロビーに集まって翌朝の集合時間などを確認したあと、部屋に入ると風呂に入ってすぐに眠ってしまった。
コメントを残す